都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
フィラデルフィア管弦楽団 「マーラー:交響曲第9番」 5/23
フィラデルフィア管弦楽団 2005来日公演/東京
マーラー 交響曲第9番
指揮 クリストフ・エッシェンバッハ
2005/5/23 19:00 サントリーホール2階Pブロック
フィラデルフィア管弦楽団とエッシェンバッハによるマーラーの第9交響曲を聴いてきました。色々な意味で「凄まじい」演奏でした。
ところで、私は一昨年前に、北ドイツ放送響の来日公演で、エッシェンバッハの指揮を一回だけ拝見したことがあります。その演目は、確か「未完成」と「新世界」でした。当時、彼の指揮については賛否両論、色々と言われていることを耳にしていたので、余計な先入観ではありますが、相当に覚悟して聴いたことを憶えています。ただ、実際に接してみると意外と端正な音作りで、拍子抜けすらしました。深く印象に残っていません。ところが今回の演奏には心底驚かされました。一体何が異なっていたのでしょう。
音楽は各所で分裂し、そして破綻していました。一音一音がズタズタに切り刻まれているかのようで、全体としての統一感や均整なバランス感覚は殆どありません。第一楽章からして異様な雰囲気です。突如耳をつんざかんばかりの荒々しい強奏が現れたかと思いきや、そのまま死に絶えてしまうかのような静寂…。間合いの間隔やリズムも「うねり」を通り越した「荒波」のようで、こちらの感情を全て撥ね付けてしまう程、極めて主観的で没入的な演奏でした。ともかくもエッシェンバッハの感性が曲へ恐ろしい程入り込んでいます。これほどまでに指揮者が自らの演奏に陶酔する様を見聞きしたのは初めてです。
第3楽章が強烈でした。明と暗の対比が、音の強弱とリズムによって極限に強調されます。機能的なフィラデルフィア管弦楽団も、指揮台で荒れ狂うエッシェンバッハのタクトに必死に喰らいついていきます。狂気と歓喜、そして平安。彼はその全てをいっぺんに表現しようとしたのでしょうか。聴いていて背筋が寒くなりました。耳も頭も混乱させられます。情念が全く整理されずにそのまま音楽へ乗り移ったかのようでした。
細部への抉りとるような眼差しは、第4楽章に顕著に表れていたと思います。エッシェンバッハが一つ一つのフレーズに意味を持たせるように、輪郭を殊更恣意的になぞります。クライマックスへの高まりとその後の諦念的な静寂は、第3楽章の「嵐」がなければ全く意味を持たないのでしょうか。この楽章についての彼の表現には共感できませんでしたが、その解釈にも一理ありそうです。
フィラデルフィア管弦楽団は素晴らしいオーケストラでした。エッシェンバッハの指揮によるものなのか、アンサンブルはかなり乱れているように聴こえましたが、トロンボーンやハープによる一体感のある音色、強奏しても崩れることのないクラリネットの艶やかな響き、それに地鳴りのように轟くティンパニなどには唸らされます。私が今まで聴いたオーケストラの中では、最も華やかで力強い音だったと思います。
一体この日の演奏が、私にとって良かったのか、そうでなかったのかは、今をもっても分かりません。煮え切らなく拙い感想で恐縮ですが、音楽を聴いてここまで不可解な気持ちにさせられたのも初めてです。全てにおいて謎めいたマーラーでした。
*マイクが入っていました。後に放送されるかもしれません。
マーラー 交響曲第9番
指揮 クリストフ・エッシェンバッハ
2005/5/23 19:00 サントリーホール2階Pブロック
フィラデルフィア管弦楽団とエッシェンバッハによるマーラーの第9交響曲を聴いてきました。色々な意味で「凄まじい」演奏でした。
ところで、私は一昨年前に、北ドイツ放送響の来日公演で、エッシェンバッハの指揮を一回だけ拝見したことがあります。その演目は、確か「未完成」と「新世界」でした。当時、彼の指揮については賛否両論、色々と言われていることを耳にしていたので、余計な先入観ではありますが、相当に覚悟して聴いたことを憶えています。ただ、実際に接してみると意外と端正な音作りで、拍子抜けすらしました。深く印象に残っていません。ところが今回の演奏には心底驚かされました。一体何が異なっていたのでしょう。
音楽は各所で分裂し、そして破綻していました。一音一音がズタズタに切り刻まれているかのようで、全体としての統一感や均整なバランス感覚は殆どありません。第一楽章からして異様な雰囲気です。突如耳をつんざかんばかりの荒々しい強奏が現れたかと思いきや、そのまま死に絶えてしまうかのような静寂…。間合いの間隔やリズムも「うねり」を通り越した「荒波」のようで、こちらの感情を全て撥ね付けてしまう程、極めて主観的で没入的な演奏でした。ともかくもエッシェンバッハの感性が曲へ恐ろしい程入り込んでいます。これほどまでに指揮者が自らの演奏に陶酔する様を見聞きしたのは初めてです。
第3楽章が強烈でした。明と暗の対比が、音の強弱とリズムによって極限に強調されます。機能的なフィラデルフィア管弦楽団も、指揮台で荒れ狂うエッシェンバッハのタクトに必死に喰らいついていきます。狂気と歓喜、そして平安。彼はその全てをいっぺんに表現しようとしたのでしょうか。聴いていて背筋が寒くなりました。耳も頭も混乱させられます。情念が全く整理されずにそのまま音楽へ乗り移ったかのようでした。
細部への抉りとるような眼差しは、第4楽章に顕著に表れていたと思います。エッシェンバッハが一つ一つのフレーズに意味を持たせるように、輪郭を殊更恣意的になぞります。クライマックスへの高まりとその後の諦念的な静寂は、第3楽章の「嵐」がなければ全く意味を持たないのでしょうか。この楽章についての彼の表現には共感できませんでしたが、その解釈にも一理ありそうです。
フィラデルフィア管弦楽団は素晴らしいオーケストラでした。エッシェンバッハの指揮によるものなのか、アンサンブルはかなり乱れているように聴こえましたが、トロンボーンやハープによる一体感のある音色、強奏しても崩れることのないクラリネットの艶やかな響き、それに地鳴りのように轟くティンパニなどには唸らされます。私が今まで聴いたオーケストラの中では、最も華やかで力強い音だったと思います。
一体この日の演奏が、私にとって良かったのか、そうでなかったのかは、今をもっても分かりません。煮え切らなく拙い感想で恐縮ですが、音楽を聴いてここまで不可解な気持ちにさせられたのも初めてです。全てにおいて謎めいたマーラーでした。
*マイクが入っていました。後に放送されるかもしれません。
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