「高島野十郎展」 三鷹市美術ギャラリー 6/11

三鷹市美術ギャラリー(三鷹市下連雀3-35-1 CORAL5階)
「没後30年 高島野十郎展」
6/10-7/17



「美術散歩」のとらさんのエントリを拝見して行ってきました。生前、殆ど有名になることがなかった(パンフレットより。)という、画家の高島野十郎(1890-1975)の回顧展です。静謐でまた、時として力強い静物画が特に魅力的でした。



青年時代の自画像からして圧倒的です。終生を写実に徹したという彼の絵画は、早くもこの初期の段階にて独自の境地を見せています。「絡子をかけたる自画像」(1920)におけるその迫力。睨み返すような強靭な視線を前すると、見る側としてはただ立ちすくむしかありません。そして、まるでもう老いを迎えたかのような顔の皺の刻み。そこには人生の悲哀が折り重ねられ、そして埋められていました。それに和服の重々しい質感も見事です。ここでも、衣服があたかも顔の皺の刻みのように重ねられて、非常にどっしりとした厚みを見せている。また、「傷を負った自画像」(1914)で見せる生々しい傷跡は、自らの手によってつけられたものなのでしょうか。彼の自画像からは、どこかナルシスト的な、自己の強烈な発露が感じられます。思わず彼の眼光に後ずさりになってしまうような作品ばかりでした。



またこの時期に描かれた静物画も実に優れています。精巧なタッチにて、徹底したリアリスムを見せたこれらの作品。私には、色調が全体的に明るくなった後期の静物画よりも魅力的でした。「けし」(1925)に見る、熟れ、そして爛れた赤いケシの花。また、まるで鋼鉄の置物のように重々しい「つりさげられた鳥」(1922)もズシリと心に迫ってくる。どこか対象を突き放しているような視点と、まるで凍っているような寒々としたモノの質感。ただ写実を追求しただけではない、魂の宿る静物画でした。



パリへ渡り、また帰国した後は、どこか日本画タッチな風景画を多数仕上げていきます。まるで静物画のような、全く微動だにしない厳格な構図感。そして初期の作品とは一転しての、淡いタッチの色彩。ただ残念ながら私には、これらの風景画の魅力を感じとることがあまり出来ませんでした。それよりもむしろ、初期ほどの圧倒感はないにしろ、静物の「菊の花」(1956)や「柿」(1962)などの方がやはり味わい深い。彼は、事物を、まるでキャンバスへ凝縮させたかのように表現する、半ば閉塞的な空間を捉えるのに優れています。もちろんそれは、ライフワークとして描き続けた蝋燭と月のシリーズにも繋がってくる。月が広い光景の中で浮かんでいるのではなく、まるで静物画のように、目の前の空間の中に事物としてある。そこに重々しい味わいを感じさせるのです。

 

月も蝋燭のシリーズも、ともに闇に包まれた光を追求した作品です。闇夜に包まれた小さな月と、同じく闇に抵抗するかのように燃え続ける蝋燭の炎。不思議とどちらも闇の存在感が圧倒的で、光はあまりにも脆いものとして映ります。非常に求道的。一切の余分を配して月と蝋燭が描かれている。月明かりが夕闇に溶け合う様子や、炎に照らされ透き通るロウもまた美しい。照明の落とされた会場にて、これらの作品に囲まれること。祈るような気持ちにもさせられました。

生前は画壇からも離れて、小さな個展のみで作品を発表していた画家だそうです。その生き様もまた、どこかストイックな画風と重なるのかとも思いました。来月17日までの開催です。(毎晩8時まで開場しています。良心的です。)

ぐるっとパスを使いました。
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