「児玉希望展」 泉屋博古館・分館

泉屋博古館・分館港区六本木1-5-1
「児玉希望 - 日本画と写生の世界 - 」
10/27-12/9

大正より昭和にかけて官展の中堅画家(ちらしより引用。)として活躍したという、児玉希望(1898-1971)の画業を紹介します。制作の中心を占める日本画と、主に戦後に描かれた風景油彩画などが一堂に紹介されていました。



日本画家としての児玉の魅力を知るには、やはりちらし表紙にも載った大作「飛泉淙々」(1931)を見るのが一番でしょう。精緻に描き込まれた木々の間を縫うようにして落ちるのは、一本一本の筋がまるで絹の糸のように描かれた清涼たる滝の姿でした。また透明感に溢れ、肌色の岩肌を削り取って進む水の飛沫と、木々の深い緑とのコントラストも鮮やかです。その他、日本画では「雨後」(1927)や「枯野」(1936)なども印象に残りました。後者では、木の這う荒涼とした草地にてキリリと睨みをきかす狐の姿が特徴的です。

ただ、私が児玉の作品で特に印象深く思えたのは、上に挙げた王道的な日本画よりも、主に画業の中盤以降において取り組まれた抽象表現の絵画群でした。油彩の「湖畔流水」では、黄緑色に渦巻く湖畔から山々の光景がまるでゴッホのタッチを思わせるようにうねり、同じく油彩の「錦秋」でも、今度は紅葉に染まる秋の景色が、さながらヒトデ型の木をいくつもはめ込んだような描写にて表現されています。そしてその抽象を突き進めたのが、日本画の「瀾」(1964)ではないでしょうか。波紋様をデザイン的に表した作品といえば福田平八郎の「漣」(1932)を思い出しますが、それより時代は大きく下るものの、水面より差し込む光や波の揺らめきが単純な線と面の動きだけに還元されて描かれています。また所々、波に掴まるようにして配されている赤や群青の色彩には独特のリズムも感じられました。クレーやミロのイメージもわいてくる作品です。

数点展示されていた水墨画群、「新水墨画十二題」(1959)にも感じるものがありました。これらの作品を児玉本人は「具象である。」と述べていたそうですが、墨の滲みだけで表されている世界は幽玄な抽象世界そのものです。

回顧展とするには少々点数が足りませんが、まずは知られざる児玉の画業を見る良い機会とも言えそうです。次の日曜日、9日まで開催されています。(12/1)
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