「カオスモス2007 - さびしさと向き合って - 」 佐倉市立美術館

佐倉市立美術館千葉県佐倉市新町210
「カオスモス2007 - さびしさと向きあって - 」
11/16-12/24



佐倉市立美術館による恒例の好企画です。現代作家5名の作品を「寂しさ」や「痛み」というキーワードで括ります。「カオスモス2007」へ行ってきました。

通常この展覧会は、今、実際に制作を続けているアーティストを取り上げますが、今年は例年と異なり、いわゆる物故作家(夭折の作家が多いのも特徴です。)の展示がメインになっています。石田徹也、菊池伶司と聞くだけでも佐倉へ足をのばされる方も多いかもしれません。その他、田畑あきら子、正木隆、そして成瀬麻紀子の名前が挙がっていました。



ともかくトップバッターの石田徹也からして衝撃的です。最近、あちこちで展示される機会も多い彼の作品ですが、今回は上の「飛べなくなった人」(1996)など計11点が出品されていました。人が機械の一部となって動くことを余儀なくされる、言い換えれば社会に強制参加させられている現代の人間を描いた絵画からは、そこへの恐怖感と反発心を強く感じさせると同時に、まさに今の世の在り方への痛烈な批判を見ることが出来ます。囚人服の如くスーツを身に纏い、回転台に吊るされてそれこそ『社長』の定められた領域だけを動くことが許された「社長の傘の下」(1996)や、まるで拷問の責苦を負うかのようにオフィスの椅子のパーツと化した「使われなくなったビル社員のイス」(1996)は、もはや感傷的過ぎるほどの厭世観が恐ろしいまでに滲み出されていると言えるのではないでしょうか。もちろん精緻に絵具が塗り込まれた石田の高い画力にも見入るものがありますが、半ば少年的な反発心をも見るモチーフには、既に忘れてしまった世の中への純粋な意識も呼び覚ましてくれるようです。まさに無心で見たい作品です。



正木隆の絵画に見る喪失感も特異です。一面の真っ暗闇の空間の上に浮き出るかのようにして引かれた白い線や面による事物が、あるべきものがないことへの不気味さを強く感じさせています。人気のない真っ白いベットが下の隅で申し訳ないように佇み、その後方に無限の闇が広がる様は、一種の廃墟と言うよりも全てが消えていくかのような寂しさを漂わせていました。虚しささえ感じます。



「Finger」シリーズの印象深い菊池伶司の版画は、約20点ほどの展示です。判読不能な文字や、奇怪でかつ繊細な線による不可思議なモチーフが、どこか幾何学的にも交わって一種の図像を生み出していますが、そこには確かにFingerより由来する作り手の意識が投影されているようです。彼の指がこの画面に打ち付けられた時、それは心の震えの痕跡が刻印されているとも言えるのではないでしょうか。もちろんその心は、おそらくは菊池自身も知り得ないカオスそのものです。



上記三名に対し、田畑あきら子と成瀬麻紀子の絵画は、パステル調の淡い色彩の効果もあってか、もっと虚ろでまた儚気な世界を生み出していました。こちらも見入ります。

佐倉は遠いという声も聞こえてきそうですが、私としては是非おすすめしたい展覧会です。クリスマスイブの24日まで開催されています。(地元中学生による展覧会ガイドが非常に良く出来ていました。そちらも必見です。)

*関連エントリ
「辿りつけない光景 カオスモス'05」 佐倉市立美術館
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