都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「日本彫刻の近代」 東京国立近代美術館
東京国立近代美術館(千代田区北の丸公園3-1)
「日本彫刻の近代」
11/13-12/24(会期終了)
これまでにありそうでなかった展覧会と言えるかもしれません。日本の近代における、いわゆる西洋的な概念の「彫刻」の制作史を俯瞰します。「日本近代の彫刻」展へ行ってきました。
展示の章立て(全8章)がかなり細かく分かれていましたが、ようは幕末明治より1960年代までの日本の彫刻を大まかに見ていく内容です。中でも日本古来の工芸品より分化していった黎明期と、その後、いわゆる芸術として確立していく主に大正より戦前までの彫刻史が非常に充実していました。ただしその反面、さらに時代を下った、例えば最終章の抽象表現などは、その膨大でかつ多様な彫刻を見るにはやや数が足りない気もします。現代までを取り込むには、ちょうど例えば日本近代絵画史を見る展示に「現代絵画」を含むのと同じことです。少し範囲が広過ぎる感も否めません。
黎明期ではまず高村光雲の彫刻が圧倒的です。言葉は適切でないかもしれませんが、彼は味わい深い民芸品を思わせる、高い技術にも裏打ちされたリアルでかつ精巧な彫刻をいくつも制作しています。その巨大な「老猿」(1893)の迫力には驚かされました。ちなみに光雲は、かの上野の西郷隆盛像や皇居前広場の楠木正成像を作った人物でもあります。こちらは、当時の政府が、西洋にも倣って都市にモニュメントの大彫像を作った過程を追う第二章「国家と彫刻」にて紹介(写真パネルのみ)されていましたが、それを見ても彼がどれほど日本彫刻史に業績を残したのかを伺い知ることが出来そうです。
光雲の長男はもちろん詩人として名高い高村光太郎です。彼の彫刻家としての実績は詳しく知りませんでしたが、そもそも東京美術学校では彫刻科に学んでいます。展示でもロダンの影響を受けたとされる力強い「腕」(1917-19)など、いくつかの作品が紹介されていました。また彼の制作で興味深いのは、ロダンの影響を脱して独特な木彫表現へと向かった点です。同時期の作家でも、例えば石井鶴三などは洋の東西を折衷した様式を模索していましたが、光太郎の到達した木彫は、まさに父光雲の手がけていたような工芸色も濃い素朴な作品でした。果実の瑞々しさも伝わる「柘榴」(1924)は佳作です。
シュールやキュビズムを思わせる様々な彫刻を経由して登場したのは、リアリズムとその反面での抽象です。ここではロダンほど表現主義的でないものの造形美に溢れる本郷新の「わだつみのこえ」(1950)や、舟越保武の彫像、それに原始の祭祀道具を思わせるようなイサムノグチの「死すべき運命」(1959)や、激しい表面の傷跡が生々しさをも感じさせる村岡三郎、または先日、千葉市美でも見た清水九兵衛などが印象に残りました。ただやはり上でも触れたように、この「抽象表現の展開」はもっと多くの作品でその流れを見たいと思いました。このセクションだけの展示をいつかやっていただきたいものです。
チラシからして地味でしたが、なかなか充実した展覧会でした。展示は昨日で終了しています。(12/22)
「日本彫刻の近代」
11/13-12/24(会期終了)
これまでにありそうでなかった展覧会と言えるかもしれません。日本の近代における、いわゆる西洋的な概念の「彫刻」の制作史を俯瞰します。「日本近代の彫刻」展へ行ってきました。
展示の章立て(全8章)がかなり細かく分かれていましたが、ようは幕末明治より1960年代までの日本の彫刻を大まかに見ていく内容です。中でも日本古来の工芸品より分化していった黎明期と、その後、いわゆる芸術として確立していく主に大正より戦前までの彫刻史が非常に充実していました。ただしその反面、さらに時代を下った、例えば最終章の抽象表現などは、その膨大でかつ多様な彫刻を見るにはやや数が足りない気もします。現代までを取り込むには、ちょうど例えば日本近代絵画史を見る展示に「現代絵画」を含むのと同じことです。少し範囲が広過ぎる感も否めません。
黎明期ではまず高村光雲の彫刻が圧倒的です。言葉は適切でないかもしれませんが、彼は味わい深い民芸品を思わせる、高い技術にも裏打ちされたリアルでかつ精巧な彫刻をいくつも制作しています。その巨大な「老猿」(1893)の迫力には驚かされました。ちなみに光雲は、かの上野の西郷隆盛像や皇居前広場の楠木正成像を作った人物でもあります。こちらは、当時の政府が、西洋にも倣って都市にモニュメントの大彫像を作った過程を追う第二章「国家と彫刻」にて紹介(写真パネルのみ)されていましたが、それを見ても彼がどれほど日本彫刻史に業績を残したのかを伺い知ることが出来そうです。
光雲の長男はもちろん詩人として名高い高村光太郎です。彼の彫刻家としての実績は詳しく知りませんでしたが、そもそも東京美術学校では彫刻科に学んでいます。展示でもロダンの影響を受けたとされる力強い「腕」(1917-19)など、いくつかの作品が紹介されていました。また彼の制作で興味深いのは、ロダンの影響を脱して独特な木彫表現へと向かった点です。同時期の作家でも、例えば石井鶴三などは洋の東西を折衷した様式を模索していましたが、光太郎の到達した木彫は、まさに父光雲の手がけていたような工芸色も濃い素朴な作品でした。果実の瑞々しさも伝わる「柘榴」(1924)は佳作です。
シュールやキュビズムを思わせる様々な彫刻を経由して登場したのは、リアリズムとその反面での抽象です。ここではロダンほど表現主義的でないものの造形美に溢れる本郷新の「わだつみのこえ」(1950)や、舟越保武の彫像、それに原始の祭祀道具を思わせるようなイサムノグチの「死すべき運命」(1959)や、激しい表面の傷跡が生々しさをも感じさせる村岡三郎、または先日、千葉市美でも見た清水九兵衛などが印象に残りました。ただやはり上でも触れたように、この「抽象表現の展開」はもっと多くの作品でその流れを見たいと思いました。このセクションだけの展示をいつかやっていただきたいものです。
チラシからして地味でしたが、なかなか充実した展覧会でした。展示は昨日で終了しています。(12/22)
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