弥山の奥の院に建立されている陶晴賢公一族郎党戦死者碑で、明治44年(1911)6月に建立されている。
江戸期の軍記物には「・・・弥山に上り、奥の院にて腹切るべしと、300余人分上りけるが、次第に落ち行きける程に、残る兵100騎許りに成りにけり、・・・」とあり、厳島合戦において奥の院付近で戦死したとされる陶勢の供養のために建立されたものとみられる。
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