洞雲寺本堂西側の池の中に祀られている厳島神社で、当寺と因縁の深い厳島神社から分祀され当寺の土地や境内、建物などの護り神として祀られていたものである。
江戸期に記された洞雲寺記には桧皮葺きの鎮守堂がみられ、辛未紀行には鎮守厳島社寺ノ左ニ有と記され、弘安4年(1281)開田庄中金屋が願主の鰐口が架けられていたようであり、当時の社殿は鰐口が架けられたもっと大きなものであったようである。
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