飯山地区にある大鹿破神社で江戸期の地誌には見られない神社である。昭和初期の郷土誌によると明治42年(1909)に大鹿破神社を廃し河内神社に合祀して境内の御神木を伐採して河内神社の維持費に当てたという。
明治42年~43年に当地区で赤痢が流行して患者が多く死亡者もあり、御神木伐採による神罰ではと・・・廃祀された大鹿破神社を再建立し神官による祈祷や祈願をしたようである。
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