大向長者原林道沿いにある通称角兵衛の墓といわれている石仏と墓碑群で、かつて石州往還道沿いにあったころ探訪した時には上画像のようであったが現在は墓碑も倒れて下画像のようになっている。
3基の墓碑には刻銘があり法名は深山で稼業していた木地屋にふさわしいものであり、これらは天明の大飢饉で没した木地屋の婦女子の墓碑と思われるのである。(廿日市の文化第24集 西中国山地の木地屋参照)
峠の県境=市境
吉和側往還道の名残り
小郷谷往還道の名残り
酷道(国道)488号線(益田・廿日市線)の標高964mの峠が県境=市境であり、かつて石州往還が通り御境、杖立峠、御坂などと呼ばれ棒木(境木)が立てられていたようである。現在匹見地区の裏匹見峡を通っている国道488号線は数年に渡り通行止めとなっておりまさに酷道である。
峠から小郷谷に向かって石州往還道の名残りが少しみられるのみであるが、吉和側では国道の川向に石積みを伴った往還道の名残りが約500m位残存している。