津和野太鼓谷稲成神社
昨日紹介した津和野藩御船屋敷跡碑からすぐ先の変則的な三叉路脇にある稲生神社で津和野藩御船屋敷の鎮護のため津和野太鼓谷稲成神社を勧請して祀られたものとみられるが、なぜか神額には稲生神社とある。
この稲生神社は治外法権的な御船屋敷内にあったために廿日市の古文書にはみられない神社であり、右側にみられる石燈籠は津和野藩士増野源興保が寛政3年(1791)に寄進したものである。
津和野太鼓谷稲成神社
昨日紹介した津和野藩御船屋敷跡碑からすぐ先の変則的な三叉路脇にある稲生神社で津和野藩御船屋敷の鎮護のため津和野太鼓谷稲成神社を勧請して祀られたものとみられるが、なぜか神額には稲生神社とある。
この稲生神社は治外法権的な御船屋敷内にあったために廿日市の古文書にはみられない神社であり、右側にみられる石燈籠は津和野藩士増野源興保が寛政3年(1791)に寄進したものである。