昨日紹介した熊山山頂にある熊山神社の狛犬は備前焼で明治13年(1880)に造られている。当地は備前焼の産地でありHPによると狛犬など各地に備前焼の築造物があるようである。
山陽郷土資料館前には備前焼の二宮尊徳像が設置されていたがどこかの小学校などから移設されたものだろうか。二宮尊徳が何を読んでいるのか本の上をみたが何も記されておらず本を読んでいるポースだけだったのだ。(笑)
種切れ気味なので昨日探訪した備前路の所どころ紹介します。お茶のまず博士に御教示頂いた熊山遺跡は赤磐市の熊山山頂(標高約490m)にある方形段状の見た事がない石積み遺構であった。
中段四方の中央には龕が設けられておりトルファンの高河故城や高昌故城などにみられる仏塔の仏龕を思わすような遺構である。
厳島港の整備事業が始まっていることを以前紹介したが、JR桟橋の西側1工区の埋め立て工事で現在護岸ブロックの設置工事が行なわれているようである。
護岸といえばコンクリート現場打ちと思っていたが、現在では工場制作の既製ブロックが設置されるようである。
昨日、極楽寺山を望む町内会で正月に迎えた歳神さんを災とともに見送るとんど焼きが行なわれた。おいしい竹酒を沸して竹盃で頂き、おいしいぜんざいを頂くなど町内会の老若男女集って楽しいひと時を過ごした。
町内会で多くの人たちが協力しあい、たくさん集まって親睦を深め合う唯一の行事であり今後も末永く続けたいものである。
宮島競艇場近くの市道脇に設置されている「踏切りあり」という蒸気機関車マークの道路標識で、蒸気機関車運転が終了して久しいが未だこの標識は現役である。
現在は電車マークのデザイン標識に順次取り替えられているようであるが、従来からの蒸気機関車マークの道路標識も併用しているようである。
宮島競艇場の西スタンドなどが解体されることは昨年11月に新聞報道されていたが、現在入口棟が取壊されているようである。
西スタンドには防護シートが大きく張ってあるので次第に取壊されていくものと思われる。当ブログ主は西スタンド基礎工事で直径2mもある当時としては大口径の場所打ちコンクリート杭の施工に立ち会ったことが思い出される。
国道433号線改良工事について時々紹介しており、先日長野川架橋工事の準備作業が始まったことを記した。
現在、平良地区側を深く掘削して橋脚鉄筋の組立て作業が行なわれており、これが完了後に原地区側の工事が行なわれるようである。
昨日紹介した原小校庭のモニュメントに並んで「たくましい原っ子碑」と「タイムカプセル埋蔵の地碑」が点在している。
これらは運動場の拡張記念に昭和54年(1979)3月25日建立されたようであり、タイムカプセルは50年後の2029年に発掘されるようである。
原小学校校庭の片隅に卒業記念で制作したモニュメントが4基残されている。
モルタルで造形されているもので自画像であろうか顔面を表したもの、目の表情を表したもの、手形をあらわしたもの、名前と好きな言葉を表したのがみられ、卒業年次のテーマによって制作されたようである。
木材港に表示されていた看板に「潜堤をつくっています」とあり、潜堤という用語は当ブログ主始めてみるものであり何かと思った。
画像は隣にあった看板で潜堤工事の概要断面図(右下図)が表されており、潜堤は海面下に築造される構造物であり波浪の破壊力を弱めるための消波構造物のようである。
新春を迎えた昨日、上平良地区で伝承されている氏神祭の俵もみ歌を保存継承活動している木遣り保存会の人達によって神前にて参拝の後木遣り奉納が行なわれた。
♪ イヤー 天神七代 神々五代 おさまる民代こそ 目出たけれ 神代の昔をたづぬれば いざなぎ いざなみの 御神 天より天下らせ さかほこおろさせ たまへつつ ヨイ ♪ ・・・
先日山口県上関方面を訪れ、古くから海上交通の要衝地で繁栄した上関地区と室津地区の町並みを散策し、町屋の二階部分に設けられた与力窓の変わったものがみられた。
上画像は黒縁の角立正方形井形の中に横格子としたもの、中画像は黒縁の菱形井桁の中に横格子としたもの、下画像は角に丸みを付けた黒縁の中に木製の格子を設けてあり白格子は後から設置されたようで、これら町並みの町屋をみるとかつて繁栄していたことを彷彿とさせる。
昨日、年末の雪が残る極楽寺山に新年初登りをして極楽寺に初参りをした。行きは原参道を登ったが登山者がほとんどないものとみられ、落ち葉が厚く積もっており至る所で猪が掘り返して歩きにくいような状態であった。
帰り道は廿日市参道から荒れた上平良参道を下って河野原大歳神社に初参りをした。
京都の賀茂神社を分祀して祀られた歴史のある柳井市伊保庄の賀茂神社に参詣した。
享徳3年(1454)頃に廿日市の鋳物師であるひがしかり屋三郎次郎が賀茂の鐘を鋳造したところ柳井の金屋より独占権を侵害したと抗議をされたために詫びており、賀茂の鐘とはこの神社の梵鐘を鋳造したのではないかと思われるのである。
元日には例年のように西蓮寺、速谷神社(境内社-岩木神社・稲荷神社)、二重原八幡神社、都地蔵へ初参りをした。天候が良かったので速谷神社では多くの参詣者の行列が大鳥居まで延びており、順番を待っての初参りを済ませた。
速谷神社の神様は大勢の参詣者でご多忙のようなので、手持ち無沙汰の他所の神様、仏様、地蔵さんにお願いを。このブログがいつまでも続けられますようにと・・・