原長野地区を通る国道433号線は田んぼを分断しており、離ればなれになった田んぼを耕作するには大変である。
片方の田んぼから農業機械を道路横断して向うの田んぼへ移動するのも簡単に出来そうにもなく、田んぼの水あて水まわりも別々にしなくてはならず田んぼ所有者は大変だ。
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昨日紹介した湯之元神社境内で、上左画像は冷泉が湧出している源泉地で「湯の池」「湯壷」といわれており、下画像は隣接地でボーリング(温泉名-熊崎温泉)をして冷泉が自噴している。
自噴している冷泉を近所の家に配水されているようで、以前冷泉を利用して湯の川温泉として営業されていた家は現在無住のようである。
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熊崎地区ある湯之元神社で江戸期の地誌には湯牛王大明神とあり、古くから冷泉が湧出していたものとみられ耕地地名は「湯ノ本」とある。
冷泉が湧出している「湯の池」「湯壷」の脇には地元出身の篤志家により湯の神を祀った境内社が建立されている。
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以前、吉和地区にある瀬戸滝を探訪したことを紹介したが、遊歩道の途中で画像のようなネジレがある木が転がっていた。
自然にこのようなネジレのある木が出来るのであろうか。何かの作用でこのようなネジレが出来たのであろうか。
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時折紹介している国道433号線の改良工事は山陽自動車道側道から長野川間の工事が行なわれており、土盛り工事や道路側溝の工事が行なわれているようである。
長野川の架橋工事は平良側の橋脚が完成しており、これから原側の工事が行なわれるようである。
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時折桜島大根の生育状況を紹介しているが、手前の2株は本来の桜島大根の性質を受け継いでいるが、向う側2株は青首大根の性質を受け継いでずんぐりした大根である。
現在花が咲いているので種を採って廿日市10代目桜島大根の栽培を目指したい。当ブログ開設の前年、平成17年から栽培し毎年種を取り育てているものであり来年はどのような桜島大根になるだろうか。
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嵯峨野トロッコ列車に乗るためにトロッコ嵯峨駅に向っていたら嵐電嵯峨駅近くの市街地に草葺き(茅葺き)屋根の民家があった。昔はこのような民家の町並みであったのだろうか。
現在、市街地にある建物の屋根は不燃材料で仕上げないといけないが、昔からある建物であり既得権で草葺き屋根とされているのだろうか。
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金閣寺より山を越えた原谷地区にある原谷苑は桜・梅・もみじのシーズンのみ公開されているようである。
20数種あるという桜を中心にツバキ・ヒュウガミズキ・ヨシノツツジ・アセビ・ボケ・ユキヤナギ・レンギョウ・シャクナゲなど色々な花が咲いた花園であった。
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岩国市の旧本郷村と旧美和村でみられたマンホール蓋で大きなマンホール蓋の中に小さなマンホール蓋が付いたもので当ブログ主は始めてみるものである。
旧本郷村の小マンホール蓋には牛と中央にリンゴのような果物がデザインされ、旧美和町の小マンホール蓋には町の木マツと町の花ツツジ、中央には町のマークがデザインされている。
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上平良地区にある河野原大歳神社境内の桜が満開で、ずらりと並んだ石燈籠との取り合わせは圧巻であり、遠くには宮島を遠望することができる隠れた名所である。
かつて境内には大杉が林立して鬱蒼としていたころの切り株が何ヶ所か残っている。当時この神社のことを「森さん」といっており、悪いことをすると「森さんの青坊主」がでると恐らされたものである。
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立野キャンプ場入口付近の県道296号線脇に石柱が建立されており、石柱には「電気廠第二部」「水力調査課」「BM №1」と刻されており、地図をみるとこの付近は標高550m地点である。
刻銘に逓信省の電気廠とあることなどから戦時体制に入り電力の国家統制策が推進されていた当時のもののようで、昭和13年(1938)に完成した立岩ダムの建設に際しての基準点であるベンチマークとみられ、ここを基準に構築物の設計をして施工したものであろう。
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