中伏地区にある河内神社であるが由緒などは不明である。当地区には現在1世帯のみの居住であるが、昭和32年(1957)頃は5世帯の氏神であったようである。
玉垣は大正15年(1926)8月に東宮殿下行啓記念として建立されており、現在の社殿は昭和32年に建築されているが当地区の氏子達のほかに後畑地区の人達の寄進もあったようである。
今日も元気で徘徊。。。。~~~
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