hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

版画の年賀状

2008年01月04日 | 美術

私は結婚以来、喪中の年を除いて毎年版画の年賀状を出してきた。おそらく30種類にはなっているだろう。

今年はどんな版画にするか、考えるのは楽しい。しかし、年の暮れ、追い詰められてから、版木を彫り始める。多色刷りがほとんどなので、2枚から5枚の版木を彫り、2回から5回、刷る。一時は200枚も出していたので、会社から帰って10時頃から刷りはじめて夜中の2時、3時になることもあった。

刷ったものをスキャナーで読み取ってからパソコンで印刷すれば楽なのだが、今のところはあくまで手刷りにこだわっている。
題材は本などの絵を基にすることもあるが、自分で適当に書いたり、撮った写真をもとにしたりする。
最初は住所、氏名も彫りこんでいたが、途中から、宛名と自分の住所、氏名はパソコンで印刷するようになった。一言、二言なにか自筆で書くので、そのスペースも空けておく。


わざわざご披露するほどのものでもないが、残っていた21枚を大公開。あまりに多いので、自薦の第一位から第六位までは次回に別途ご紹介。

最初の4枚はかわいくて、恥ずかしい。まだ若かった30年近く前のものなのでご容赦を。

                        

この頃からは少し工夫するようになった。90年は失敗作。93年はなかなかの出来。

                        

94年は版木をベニヤにしてみた。95年は上高地。だんだん、要領良くなり、色数をやたら増やすことをしなくなった。

                        

2006年はオーストラリア・パースのキングスパークからの眺め。ここから景色シリーズになる。今年、2008年は京都旅行の写真から。

                

 
こう見てくると、年1回、しかも時間に追われてでは、技術や美意識の進歩は期待できないことが歴然だ。
次回、少しはましなものと言うよりお気に入りをご紹介。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

東京国立近代美術館へ行く

2007年11月13日 | 美術
地下鉄・東西線の竹橋駅で降りて、北の丸公園の東京国立近代美術館へ行った。何回も来ているが、日本の代表的絵画が並んでいて、お勧めである。



420円で少し離れた工芸館も見ることができる。受付には、「65才以上の人は所蔵作品展無料」との張り紙がある。奥様が840円を出すと、受付の人が、「65才以上の人は無料ですが?」と私の方を見ないようにして言う。しかし、心の目が私の髪を、いや、髪があったあたりを見ている。
「まだです!1ヶ月以上足りません」といささか私の否定にも迫力がない。奥様は、「ほらね、また言われたでしょう」とニコニコ。

念のために写真撮影が可能かどうかたずねると、シールを肩に貼られて、「フラッシュは禁止ですが、撮影禁止のマークのある絵以外はどうぞ」と言われた。



価値ある絵画の写真をこのブログに載せてよいのか迷った。独立行政法人国立美術館の所蔵作品総合目録検索システムでは、一部絵画の画像も見ることができることや(http://search.artmuseums.go.jp/)、「ああ、あの絵か」と思い出してもらうために、小さな品質の悪い写真に、一応、角を塗り潰して載せることにした。


萬鉄五郎(よろず てつごろう)「裸体美人」
東京美術学校(現芸大)の卒業制作として描かれた。当時としては、激しい色彩と斬新な造形で、わが国ではじめてのフォーヴィスム的な作品と言われている。なんとなく、土着的エネルギーを感じる絵で、私は大好きな絵の一つだが、つい最近まで作者の名を「まんてつ・ごろう」と読んでいた。



中村彝(つね)「エロシェンコ氏の像」
モデルの哲学的な様子が表現されているいかにも油絵と言った絵で、これも私のお好みだ。新宿中村屋にはこの盲目のロシアの詩人エロシェンコをはじめいろいろな人物が身を寄せていた。作者と中村屋の娘の恋などエピソードを知ると絵の裏側からも味わいがにじみ出る。



岸田劉生「道路と土手と塀(切通之写生) 」
渋谷区代々木の坂道を描いた絵だ。私の子供のころも、代々木近辺の多くの道が未舗装でこのような関東ローム層の赤土の坂があった。力強い絵だ。



岸田劉生「麗子肖像(麗子五歳之像)」
娘の麗子を描いた最初の油絵だそうだ。一連の麗子像はちょっと気味悪く感じることもあるが、この絵は迫力がありながら、子供らしい雰囲気を失っていない。



藤田嗣治「自画像」
おかっぱ頭にちょび髭と丸目がね。藤田の白は輝きを持っている。



梅原龍三郎「高峰秀子嬢」
作者は、「眼をね、大きく描きすぎたんだ。だから似ていない。秀子さんの眼は大きいのでなくて、眼の光が普通の人より強いんだ。それで眼が大きく感じられるんだね」と言っていると書いてあった。
確かに似ていないが、作品が「モデルに似ていない」と言われて、「そんなことは、100年(?)もたてば問題でなくなる」と言ったのは、ミケランジェロだっただろうか?



小倉遊亀 「浴女」 
白いタイル、薄い水色のお湯と女性の肌が透明感ある色使いだ。湯舟の中のゆがんだタイルの線もさわやかさを演出している。



安井曽太郎「金蓉」
モデルは金蓉と言うからは中国の人かと思っていたが、上海総領事、横浜正金銀行取締役の小田切氏の峰子という娘さんで、金蓉と呼ばれ、普段から中国服を着ていたとのことだ。以前見たときは、大分ひび割れて痛んでいたが修理したのだろう。
「よく見ると、ほぼ水平を向いた頭部に、正面を向き直った胸部がつづき、腰から膝にかけては水平に伸びたのち、足先は再び画面手前に向かって伸びているというセザンヌ譲りのかなり複雑な人体構成法になっている」と解説にあった。



古賀春江「海」
春江というから女性だと思っていたが男性だ。西欧の前衛的動向に触発されながらさまざまな作風を試みた人で、この絵の右側の女性と同じような人がビルの上に立っている絵を見たことがある。
水着姿のモダンガール、工場、飛行船、潜水艦は当時の雑誌や絵葉書から引用、貼り付けられたように構成され、コラージュ風になっている。




このほか、草間彌生などのモダンアートも展示されている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

作家のお宅訪問

2007年06月10日 | 美術


著名な女性作家の方の別荘を訪問した。閑静な住宅街の生垣のトンネルから見える玄関がおもちゃの家のようだ。中に入ると、気楽に家の中を案内していただいた。2階には木々の向こうに雪をかぶる山々を見ながら執筆中の書斎などがある。1階には歴史ある家具、ユーモラスな猫の像や、メカニカルなアートが並ぶ。手回しの木製アイスクリーム製造機、蓄音機などの趣味の骨董品もあった。

何と言っても目を引いたのがマチスのリトグラフだ。女の人が腕まくらで寝転んで、そばにもう一人。右手前には裸でバイオリンを持った女性がいる。簡潔な筆でさらりと描かれているがおもむきがあり、味わい深い。おもわず、ひきつけられてしまった。マチス顔と呼ばれる何本かの線で簡単に描かれた顔、陰影をつけないやわらかな身体の線。ピカソがマチスの天才に嫉妬したというのもうなずける。マチスのリトグラフが戦前は、家中にあったが、戦後竹の子生活のとき、次々と売り払ってしまった。しかし、ご両親が子供部屋にあったこの絵だけは残したという。

子供の頃の私の家にも、書棚の上には額に入った文人画があり、床の間には山水の掛け軸がかかっていた。私は、ぼけーと、これらの絵をよく眺めていたものだ。どうもこれがしみついて今でも絵に親しみを感じるらしい。
ただ、マチスとはえらく違うスッポンの安物だったので、審美眼は培われず、単なる美術好きになったようだ。負惜しみで考えると、やはり、しみついた絵の出来が、その後のレベルを決めたに違いない。

リトグラフで思い出した。2007.1.15のブログ「絵を見るのが好き」に書いたのだが、結婚して間もない頃、文房具店の階段の壁にかかっていたアール・ヌーヴォーのミュシャ風の絵、リトグラフを見て、奥さんが「これ、いいわね」とじっと見ていた。俳優の余技で書いたもので、芸術的とも思えなかったが、とくに女性には夢のある絵だった。
安月給の中、お袋さんを引き取り、ぎりぎりの生活をする中で、奥さんはマイホームを建てようと、節約を重ねていた。そんな中、厳しい価格だったが、2,3日後に店に行って思い切って購入した。
「まさか買ってくるとは思わなかったわ」と言って、ちょっとしんみりしていたのを思い出す。色もあせたし、そんなに価値のある絵ではないし、子供に引き継ぐものでもないが、我々には大切な絵だ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりに華やかな街へ

2007年05月25日 | 美術
知人が絵を描いていて、ときどき個展を開く。今回も、青山5丁目の交差点まで見に行った。
(空中伽藍、5月21(月)~5月26日(土)、11:00~19:00(最終日11:00~17:00)、
於・Pinpoint Gallery、東京都港区南青山5-10-1 二葉ビルB1 、03-3409-8268)

中村豪志と言って、夢のある、静かな絵を描く。ロシアのミグジェット機に乗って(金を出せば乗れるらしい)成層圏を実際に見たりして、従来は宇宙物の絵が多かった。そのほか、オーストラリア大陸横断鉄道でパースへ行ったり、バンクーバー、アフリカなど世界各地に行ってヒントを得ている。今回も静かでさびしげだが、ちょっと明るいところがありほっとする絵が多かった。ほんのちょっとだけお買い上げ。
星霜圏 http://www1.wisnet.ne.jp/~daydream/

ちょうど昼休み時で、どっとOL(今もそう言うの?)が出てきた。青山も久しぶりなので、野菜なんとかという小じゃれたレストランでランチにした。レストランは満席で、若い女性ばかり。男性は私だけ。横浜のはずれにいて、普段若い女性をほとんど見かけることがない。どこに一体いるのかと思っていた。こんなところに、かたまっていたのだ。

知人が横浜の高島屋7Fの和洋食器のコーナーを借りてガラス工芸品を展示、販売しているので寄った(中尾羊古「くらしを彩るガラス展」 29日まで)。前回すっきりしたカップを手に入れ、夏になると愛用している。今回は夏向きの涼しそうでさわやかな小皿が並んでいた。バンクーバーでお世話になる方へのお土産に小皿を購入。

ついでにと、いろいろ売場を回り、そのたびにひっかかる相方について行くのがやっと。それにしても、普段か弱い奥様の買物でみせる執念、タフネスには、ほとほと感心してしまう。

普段入ることないのだが、疲れ果て、高そうな高島屋内の喫茶室に小金持ちになったつもりで入る。中には、品の良い服装のいかにもお金持ちのおばさまが一杯。

帰るなり風呂に入り、ゴロリと一休み。東京に30年間住んでいて、新宿、渋谷をウロチョロしていたのに、もはや、人が多く、にぎやかなところはつくづくくたびれる。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北京故宮博物院展

2007年03月14日 | 美術

「清朝末期の宮廷芸術と文化」と銘打った北京故宮博物院展を見た。中国の国宝24点を含む140点が展示されている。日中国交正常化35周年を記念して、横浜、日本橋800円、京都900円、宇都宮、大分1000円、青森1200円などと、全国各地を巡回し展示されているが、地方は高くなっている。

権勢を誇った女帝・西太后・慈禧(じき)のキンキラキン衣装、これでもかと立体的に盛り上げた宝飾品などが展示されている。また、ラストエンペラー宣統帝・溥儀の子供時代のおもちゃ、14Kの眼鏡、英国製自転車など身近な、といってもきわめて贅沢な品々が並んでいる。

四書五経の本物を見るのは初めてだが、膨大な厚さに驚いた。儒教の素養が試される激烈な科挙の試験を突破すべく、天下の秀才がこんなものにエネルギーを使い果たしていては国が破綻するわけである。なんだか、日本の官僚のことを思い出してしまった。

西太后がまつりごとを行った「垂簾聴政(すいれんちょうせい)の間」が会場に復元されている。手前に幼い皇帝が座る玉座があり、御簾のうしろにより大きな座があり、そこに西太后が座り、実際の政治を行ったのだ。

清朝を興したヌルハチ以下の皇帝の家系が愛新覚羅(あいしんかくら、満洲語名:アイシンギョロ)であるが、その最後の皇帝が愛新覚羅・溥儀(あいしんかくら・ふぎ)で、2度退位し、満州に侵略した日本の力を利用して3度目の皇帝・康徳帝となった。そして中華人民共和国になってから特赦で出所し北京植物園に勤務し、1967年に一市民として死んだ。

溥儀の弟の溥傑は日本の名門華族・嵯峨家の令嬢の嵯峨浩と(政略)結婚した。その長女が愛新覚羅・慧生(えいせい)で、日本に帰国してから10年後の1957年に、慧生は学習院大学の同級生と伊豆天城山で心中してしまう。今でも私はこのときの新聞の一面に出た写真と記事を思い出す。
天城山心中については、例えば「黛まどかの恋ものがたり」 http://osaka.yomiuri.co.jp/koimono/km51227a.htm をごらんください。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ルーヴル-DNPミュージアム・ラボを体験

2007年02月17日 | 美術
ルーヴル美術館とDNPが共同で開発した新しい美術鑑賞法で、一つの作品(3月10日まではジェリコーの銃騎兵)を徹底的に深堀、分析して解説し、そしてそれを、最新の技術を駆使した美術鑑賞システムにより、見る人の質問を引き出して答えてくれる。
いつもあれもこれもと、あわただしく通り過ぎる美術展と違って、新日曜美術館、迷宮美術館などより数倍詳しく、見所、画法、作品の背景、作者の紹介など、一つの作品で多方面から、求めれば一時間以上楽しめる内容がある。

ルーヴルは3.5万の展示作品から一つを厳選し学術的、教育的詳細コンテンツを提供し、DNPは同時ストリーミング、お得意の無線タグなどでインタラクティブ技術を提供した共同プロジェクトである。美術を楽しむための示唆に富み、見る人に合わせて情報が提供される、これまでにない美術鑑賞法になっていると思う。

骨伝導イヤホーン、タッチパネルのガイダンス端末、ICタグを受取り展示室に入り、「メデューズ号の筏」で有名なジェリコーの銃騎兵の実物を見る。ここで本物が見られるとは思わなかった。見所紹介があり、タッチパネルで項目を選択できる。
作者、他作品、類似の肖像画との比較分析などにより多彩で詳細な絵画情報、背景情報が見られ、聞ける。

シアターでは、180インチの大画面で、3月10日まで「ルーヴル美術館を楽しむ」「銃騎兵-テオドール・ジェリコー」「ジェリコーとドラクロワ」の3つのプログラムを見ることができる。ハイビジョンの4倍の高解像度で見る映像は実物とはまた違った迫力があり、詳細な点がはっきりする。

下記に予約が必要だが、無料というのもなによりである。平日は17時以降だが、土曜日もやっているのが嬉しい。

http://museumlab.jp/index.html



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅原龍三郎を見る

2007年02月01日 | 美術
横浜高島屋で開催している初期から晩年までの80点をそろえた梅原龍三郎展を見た。
平日なのでお年寄りの女性が多少いるだけでゆっくり見られた。

渡仏してルノアールに会う前の若いときの作品でも、すでに色の組合せが見事で、中心になる色が特に映えるような色使いをしている。ルノアールは梅原に「デッサンは練習すれば上手くなるが、色の使い方は生まれつきだ。あなたは見込みある」というような趣旨のことを言ったという。

渡仏時の初期の作品は豊満な女性、太い腕や青みがかった肌の色など、師のルノアールの絵そっくりだったりしてほほえましく思えた。

梅原龍三郎といえば、華やかな色と豪快なタッチで知られ、私にはバラ、赤のイメージだが、「雲中天壇」「富士山図」でも青色(紺)に味わいがあると思った。この青がいっそう赤を引き立てる。色は組合せで力を発揮するのだろう。

小品だが切り取った一本の椿だけを描いた絵があった。白い画面に緑の葉と一輪の赤い椿の花が鮮やかである。説明には、岩絵の具とあり、日本画と言っても良いのだろうが、花びらはツヤツヤと輝いていた。画材のことは全く知識がないが、岩絵の具でこんな輝きが得られるのだろうか?

自由奔放に見えるフォルム、色彩。私も幾ばくかのエネルギーと開放感をもらって帰途についた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

絵を見るのが好き

2007年01月15日 | 美術
私は絵を見るのが好きである。お気に入りは印象派の先駆けとも言われるマネで、特に後期のおおざっぱなタッチの絵にはひきつけられる。太い筆で軽く絵の具を置いただけなのにちょっと目を離してみると見事に遠くに人がいるように見えたり、反射する透明なガラス瓶に見えたりする。
シスレーの明るい風景画も癒されるし、ゴッホの情熱的なタッチもその人生を思い、ゆすぶられる。要するに平均的日本人の好みである。

玄関には印刷物だが平山郁夫や山本岳人を、階段にはバリで買ったにぎやかな油絵と小さな花の絵を飾ってある。寝室には2枚の浮世絵、岩崎ちひろがある。日本間、台所には母の書いた水墨画が3枚額に入っている。2つのトイレには、カレンダーから切り取った7点のゴッホ、屏風絵などの写真6枚をベタベタと貼り付けてある。
居間にも幾つかの絵を並べている。ほとんどが印刷物だが、壁にかかっているのも、カレンダーから切り取ったものなど14枚ある。その他、カード状のもの12枚を気が向いたときに入れ替えている。

こう書いてみると、42枚の絵にはまったく脈絡がない。奥様の好みがほとんどで、母の絵少々と、ほんの少しだけオトンの私の好みの絵をトイレに貼らせていただいている。
それでも押入れにはマネなど私の好みの画集があり、会社でストレスを受けた日は寝る前に取り出してパラパラながめ、心静かになってからベッドに入ったものだった(イジマシイ)。

長年同じところに飾ってある絵は見慣れてしまって、普段はその存在さえ意識しなくなる。今回あらためてゆっくり眺めてみると、「ああ、ここにこの絵があったんだ」と思う。

結婚して間もない頃、店の壁にかかっているこの絵、銅版画を見て、女房が「これ、いいわね」とじっと見ていた。安月給でぎりぎりの生活をしている身には厳しい価格だったが、あとから店に行って思い切って購入した絵だ。「まさか買ってくるとは思わなかったわ」と言って、ちょっとしんみりしていたのを思い出す。色は淡色だがミシャの絵のようにあでやかで細かく書き込んである。しかし、居間にあるこの絵ももはや普段は全く意識しなくなってしまった。

最近手に入れたカード状の小さな絵にはときどき目が行く。少し大きいカレンダー大の絵は空を描いた癒される絵で、絵柄は単純だがこれにも目が行く。
どうも大きく絵柄の複雑な絵でも長い間見ていると意識から外れてしまうようだ。むしろ、カード大の小さな絵や、少し大きくても単純な絵柄の方が比較的長い間見ていても意識されるような気がする。

屁理屈で考えると、以下のようになる。
人間の目、脳は、集中していないときには、瞬時に処理できる情報量に限界があり、無意識にちょっと見たときには小さな絵か、単純な絵柄の絵しか目に入らないのではないだろうか。
だとすると、細密な描写よりもマネの荒いタッチの描写法は目をひきつけるすばらしい方法ということになる。もっとも、荒いタッチで、そのように見せるには手練の技が必要ではあるが。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年賀状を彫り、刷り、書く

2006年12月24日 | 美術
私は30年近く版画を彫って年賀状を出し続けています。宛名はパソコンで印刷しますが、年一度だけの創作活動で図案を考え、2,3枚の木版を彫り、絵具に糊を混ぜて塗り、バレンでこすって一枚一枚2,3色の版画年賀状を仕上げます。

図案が思い浮かばないと時間がかかるのと、刷るのが単純労働でうんざりするだけで年一度とはいえ30回近くになると、手馴れたものです。 最初のころは干支の動物の図案でしたが、2巡もすると飽きて来て最近は風景版画に挑戦しています。年一度で、しかも手抜きなので技量は向上しませんが、いろいろ新機軸を考え試みるのも楽しいものです。

勤めていた時は、12月の最後の週に帰宅後、版を彫り、翌日の夜、2時ごろまでかかって200枚くらい刷り上げていました。
友人を思い浮かべながら、必ず2,3行は何か手書きするようにしているので、これも時間がかかり、出すのは年末ぎりぎりになっていました。退職すると時間は有り余っていて、はじめるのは早くなりますが、途中休んだり、結局かける時間はあまり変わらないようです。

会社関係でも個人的に近しい人以外には年賀状は出さなかったのですが、40年の会社員生活の中で徐々に増えて200枚ほどになってしまいました。おかしなもので、今年はこちらから先に出さないでいると、元旦に相手から来て、次の年にこちらから先に出すと、相手から元旦に出した返事の年賀状が来たりして、ギッタンバッコンとなかなか互いに止められないものです。

退職してからは、生活、お付き合いをシンプルにしようと、不義理承知で100枚以下に絞りました。年賀メールで済ますところもあります。こちらの好き勝手で、年一度の状況ご報告のつもりで出しているので、返事はいただかなくても良いのですが、相手の負担になっていると申し訳ないことです。とくにかなりなお年寄りにはもう字を書くのも大変なのでと言う方もいますので。

しかし、年賀状だけでつながっているお付き合いも悪いものではありません。幼い子どもの写真付きでしばらく来ていたのが、夫婦二人だけの旅行の写真になっていたりして、年賀状だけからでも相手の世界が想像で垣間見られて、心が温かくなります。

パソコンでのお絵かきを勉強し始めたのですが、なんでもパソコンの時代だからこそ、いつまで続くかわかりませんが、無理しない範囲で手作りの味のある下手な版画の年賀状は続けて行こうと思っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする