重松清著「十字架」2009年12月、講談社発行を読んだ。
「講談社HPの書下ろし100冊の内容紹介」は以下。
背負った重荷をどう受け止めればよいのだろう。
悩み、迷い、傷つきながら手探りで進んだ二十年間の物語。
中学二年でいじめを苦に自殺したあいつ。遺書には四人の同級生の名前が書かれていた。
遺書で<親友>と名指しをされた僕と、<ごめんなさい>と謝られた彼女。
進学して世界が広がり、新しい思い出が増えても、あいつの影が消え去ることはなかった。
大学を卒業して、就職をして、結婚をした。息子が生まれて、父親になった。
「どんなふうに、きみはおとなになったんだ。教えてくれ」
あいつの自殺から二十年、僕たちをけっしてゆるさず、ずっと遠いままだった、
“あのひと”との約束を僕はもうすぐ果たす――。
著者が生んだ数多の感動作の集大成であり、大きな覚悟をもって書き切った最高傑作!
本書は書下ろし作品。
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)
重松さんの家族ものの一つの記念塔だろう。父親の息子に対する思いが芯になっていて、主人公の少年が父親になって初めて多くのことを実感として思い至るという筋道だ。
自分で自分に言い訳して、いじめに見て見ぬふりをするあたりはよく書けている。60年近く経った今でも私の心を後悔で痛める思い出がよみがえる。しかし、あの卑怯な振る舞いのトラウマがあったからこそ、その後何かの時に不利であっても信じる道を進む選択を私にさせたのだ。
二人が十字架を背負いながら歩いていくところも理解はできるが、いずれ明らかになるのだから数年といわず、勇気をもってもっと早く事実をはっきりさせればよかったと思う。
私は、なんとなく死にたくなったことはあるが、死にたくなるほど絶望したことはないので、そうかも知れないとは思うが、この気持は実感としてよく分からない。
しかし、以下の寂しさについては、そのとおりだと思う。
息子が独立して家を出て行ってからの連れ合いを見ていると、寂しさというものが、自分が何かしてやれないことも加わって、上のとおりのような気がしてくる。私から見ていると、男性としては、というか私と比べて、気が尽くし、気持ちも優しい息子はけしてそんなことはないのだが。
私自身は、息子の心の中の父親像として、それが例え理想化されていても、まだつながっていると感じている。もともと男同士で日常的に絆があったわけでもなく、いざという時にはと思っていて、離れていてもそれほどギャップは感じないのだろう。
息子にときどき説教じみたことを言われた連れ合いは、「なによ、泣きながらトイレの中までついてきたくせに。ひとりで大きくなったようなこと言って」とつぶやく。母親はつらい。
重松清の略歴と既読本リスト