林家こん平著「チャランポラン闘病記-多発性硬化症との泣き笑い2000日」2010年3月、講談社発行を読んだ。
TV番組「笑点」で大喜利メンバーの一番右側にいて、オレンジ色の着物を来て大声をだしていた落語家林家こん平の闘病記だ。ご飯と酒と、そしてなにより仕事が大好きで、TV、地方公演と元気いっぱい飛び回っていた。生まれてこの方3回しか行っていなかった病院嫌いのコン平さんが、最近身体の不調が続くなと思っていた2004年8月、笑点の楽屋で意識が混濁し、ろれつが回らなくなる。
多発性硬化症だと診断が確定したのは、2005年1月という。多発性硬化症は身体のいろいろなところの神経がおかしくなったり、治ったりを繰り返す、特に治療法がない難病だ。こん平さんはもちまえのファイトで厳しいリハビリに励んでいて、だいぶ回復しているが、高座復帰はまだまだのようだ。
この本では、以上の経緯、経過と、これまでの彼の人生が語られる。
昭和の爆笑王と言われた林家三平に弟子入りしようと新潟から15歳で上京した極貧の弟子時代、なまり克服にも苦労する。あれやこれや気を利かせて飛び回る前座時代。師匠から「人の嫌がる仕事をやりなさい」「寄席の世界では全員がライバルなんだから、前座時代には友達をつくってはいけない」と教えられる。負けず嫌いで元気なこん平さんも厳しいイジメにあう。
そして、若くして死んだ三平師匠の弟子たちの面倒を見るまで、さらに闘病生活、リハビリと続く。
林家こん平は、1943年新潟県生れ。1958年上京、林家三平に弟子入り。1966年TV番組「笑点」に出演。1972年真打昇進。2004年8月声帯を患ったという理由で入院。2005年多発性硬化症と診断される。
私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)
笑点の挨拶で、「なお、会場の皆様にお知らせがございます。私の帰りのかばんには、まだ若干の余裕があります」といい、会場の観客と共に「1、2、3、ちゃら~~~ん」と大声でバンザイする元気印のコンちゃんの姿を笑点で見かけなくなって6年。私の好みの落語家ではないが、なにかが欠けたままのようだ。「笑点」ファンの私は、楽しみにしてこの本を読んだ。
たしかに、落語界の修行時代の厳しさはよくわかり、派閥の激しさも推測できたが、落語家の本にしては想像より「笑い」が少なかった。コンちゃんの頑張りと負けん気だけが匂ってきて十分楽しめない。
コンちゃんは、なにかというと、生れは「チャーザー村」というのだが、本当に「千谷沢村(ちやざわむら)」出身だと知った(だから何なの?)。