辻まこと著『虫類図譜(全)』(ちくま文庫、1996年12月5日筑摩書房発行)を読んだ。
防衛、教育、啓蒙、愛国心、体面などの概念を、奇妙、グロテスク、時にユーモラスな架空の虫の姿として左のページに表現し、見開きの右ページに鋭く皮肉な文章をつけた風刺画文集。
以下、本書から引用、ただし、虫の絵は略。
世論
微小であるという。巨大であるとも言う。全然存在しないともいう。
新聞紙のミノから生まれ、新聞紙を食べ、テレビのブラウン管の中に育てられ、ラジオを子守歌に聴きながら生長し、新聞紙やテレビを支配する。
やがてそれらを媒体として人々の脳に卵を生みつける。それによって人々は熱をともなった集団的発作を惹起することがある・・・といわれている。しかし、これは皆外国の話だ。日本にはその例証はないようだ。この虫の生育をはばむ島の風土については未だ明確な研究発表がない。多分一種のFood Order があるにはちがいないのだが・・・・・。
防衛
この甲虫は恐怖からわいた。
自己不信の対象転置が、この不潔な生物の発生原因だ。
かって、嵐で大胆な手術を受け、腐敗した枝を切落としたとき、樹木は天と地の善意に感謝の憲法を告白した。その傷痕からは、みずみずしい若い芽がでる筈だった。だが病根は意外に深く、舌のウラは化膿し、悪臭を発生しはじめた。
臆病なよろいをまとったニヒリストどもがにおいを嗅ぎつけた。
樹液は吸取られ、涙はヤニになる。
愛国心
悪質きわまる虫。文化水準の低い国ほどこの虫の罹患者が多いという説があるが、潜伏期の長いものなので、発作が見られないと、罹患の事実は解らない。・・・過去にこの島では99%がこの発作による譫妄症状を呈したことがある。
愛
愛虫は関係をつけにくる。
欠乏がこの虫の本質だから、それをうめようとして近所のものに触手を延ばす。
こんなにも相手のことをだいじがり、こんなにも自分のことしか夢中にならない虫もめずらしい。
すり寄られたからって、すこしも憐れんでやる必要はないわけだ。
孤独
十字架状態に手を拡げていたときには、この虫もまだ孤独とは呼称されていなかった。
地上に何の支えも見出せなかったのは気の毒だが、・・・その手が両側にぴったりとくっついちまった今では、どんな打つ手も真実ない。
孤独の虫の立場はサイズ28の自分の足の裏の皮だけだ。
辻まこと( つじ・まこと)
1914(大正3)年生まれ。 本名は一(まこと)。
ダダイスト辻潤と、甘粕事件で大杉栄とともに殺害された婦人解放運動家・伊藤野枝の長男。
昭和4年工業高校を中退し、父とフランスにわたる。
帰国後、広告宣伝会社を経て、デザイン会社を設立。
戦後、草野心平主宰の雑誌「歴程」などに挿絵、風刺画文を発表。画文集に「山からの絵本」など。
1975(昭和50)年胃がんで余命少ないと知り縊死。
本書は1964年7月、芳賀書店刊行の『虫類図譜』に、「歴程」に発表されて単行本未収録の「虫類図譜」を増補し、完全版としたもの。
私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)
数ページパラパラ見るのは面白いのだが、同じパターンが続くので飽きる。
架空の虫の絵は、現代絵画と思って眺めて見ても、これも同じパターンですぐ飽きる。奇妙な絵なのだが、実際の昆虫の方が変化に富んでいるとも思えてくる。
世論など、日本は今も昔も相変わらずだと哀しくなるし、防衛、愛国心など現在でも通じる内容で、時代はうねってまた嫌な時代に戻っているような気がする。