酒井順子著『中年だって生きている』(2015年5月30日集英社発行)を読んだ。
美女にも、そうとは言いにくい女性にも等しく訪れる中年期、若くも年寄りでもなくどこか宙ぶらりんな実態を、なにげない日常のひとコマの中から、ユーモラスに、ときにぐさりとくる言葉で小気味よく描き出す。
口では「私なんておばさんだからさぁ」と言いながら、「中年ではあるがおばさんではない」と思っているあなたに贈る19編のエッセイ。
「花の色は」
能で「翁」といえば、長寿と幸福の神様。・・・その老いた姿にはカラッとし目出たさが漂います。対して老女は、「長く生きてしまった女のすさまじい姿」となり、その姿は湿り気を帯びている。
「ハワイ」
「親旅」
ペースの違いにイライラ、ぐったり、となりがちな親との旅行のコツは、
「とにかく、旅行だと思わないこと」・・・旅行だと思わずに出張とか業務だと思えば、自分も楽しみたいという気持ちは消えて、・・・。そのためには、「自分が行ったことの無い場所を選んでは、駄目」
・・・
小さい子供を持つ親のそれと、似ています。
「チヤホヤ」
花には水を、女には「チヤホヤ」を。
若い頃にチヤホヤ慣れした女性達の心身には、中年期にぶち当たる「チヤホヤの激減」という現実が、深刻な打撃を与えているのではないか、と。
「エロ」「更年期」
「少女性」
未成熟を愛でる日本文化により、中年女性も「いつまでも少女のままでいたい」と思う。
中年本人は、「私は昔からずっと変わらず、可愛いものを愛でているだけですけれど?」とキョトンとしているかもしれません。・・・赤の他人からしたら、常軌を逸して行動。キョトンとして尖らせた口の周囲に、梅干しを思わせるシワがうっすらと寄っていることを、知らなくてはなりません。
「仕事」
「バブル」
狭義で言うバブル世代とは、・・・一九八八年~九一年くらいに大学を卒業して就職した人々・・・。
バブル世代が、バブルを「割と最近の出来事」と思っているのに対して、非バブル世代は「バブルとは、歴史上の出来事」と思っている・・・。
「嫉妬」「老化放置」「感情」「寵愛」「病気」「植物」
「回帰と回顧」
中年になった我が身を見て見ますと、若かった頃に「興味を持つわけがない」と思っていたものを、軒並み好きになっています。歌舞伎も平安女流文学も、・・・。そしてカラオケにおいて歌うのは、自分が若い頃にヒットした懐メロばかりに・・・。
「ファッション」「感情の摩耗」「おせっかい」
私の評価としては、★★★(三つ星:お好みで)(最大は五つ星)
相変わらず酒井さんの観察は鋭く、描写はえげつないが、自虐の心があるので、ほほえましくもある。
中年女性は、「そうなのよね」と共感し、しみじみするだろう。もはや老年で中年を通り過ぎてきた私は経験済、実感済のことを再確認できた。
しかし、酒井さんに言いたい。「中年を超えて老年になれば、枯れ切って、悟り切ってと思うのは違いまっせ」 あなたが二十歳のときに、「五十? もう終わってるでしょう」と思ったのに、いま50歳になってどうですか? それと同じです。
女性が若作りするのは、私は結構なことだと思う。先日60年ぶりに小学校のクラス会へ出席したが、女性は皆若く見えた。一方男性達は、えらく年寄りじみて、というか立派な年寄りなのだが、いかにも「おじいさん」で、嘘だろうと思ったが、私も同じなのだった。
高齢化社会で、せめて女性だけでも少しでも社会を明るくするために努力して欲しい。酒井さんも、「老化放置」の中で言っている。
しかし、今、世の中の中年女性達が全員、髪を染めることもシミを隠すことも突然止めてしまったら、日本全体が「老けた」という印象になるものと思われます。中年が若作りするのは、もはや環境保全の一環と言っていいでしょう。
プリンス・エドワード島のキャベンディシュには、「赤毛のアン」の著者モンゴメリーが働きながら「赤毛のアン」書いていた郵便局がある。
そこであった50歳ほどの女性は、「ここのポストから葉書を投函するのが私、夢だったんです」とたまたま傍に立っていた私に、目をキラキラさせながら言った。すっかり少女に戻ってしまった夢見る頃を過ぎたご婦人を“可愛い”と思った。