hiyamizu's blog

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藤沢周平『隠し剣孤影抄』を読む

2015年12月01日 | 読書2

 

藤沢周平著『隠し剣孤影抄(こえいしょう)』(文春文庫1983年11月25日文藝春秋発行)を読んだ。

 

日頃は冴えない下級武士でありながら、その実、オドロオドロした超絶的な秘剣を習得している。秘剣の隠れた伝承者がお家の一大事にやむを得ず一瞬の隠し剣を使う。

じっと耐え続ける目立たない下積みの下級武士と一度離縁されて不幸な運命にある一途な女性。切なさと清涼感漂う藤沢周平の “ 隠し剣 ” シリーズ8篇。

藤沢周平のこのシリーズに『隠し剣秋風抄』がある。

 

「邪剣竜尾返し」

檜山絃之助は、赤倉不動のお籠もりで美貌の女から誘惑され床を共にする。彼女は絃之助との立ち会いを断られていた赤沢弥伝次の妻だった。絃之助は赤沢にこのことで脅迫され、立ち会いをすることになる。絃之助は、かって藩の指南役だった父が工夫した秘剣を教えてもらおうとするが、中風の父がしゃべることは理解できなかった。

 

「臆病剣松風」

藩主の叔父吉富兵庫は、世継ぎである和泉守を廃して、我が子を世継ぎにすることを画策していた。藩内は世子擁護派と兵庫派が陰湿に争うようになり、和泉守の毒味役が倒れたことで、いよいよ危機感を煽られた筆頭家老の柘植益之助は、父親が剣の名手であった宮嶋彦四郎に、和泉守の警護役を推薦するよう願う。ところが、彦四郎が推薦したのは、妻にも軽んじられるほどの臆病者だが、守りの剣・松風を伝えているという瓜生新兵衛であった。柘植の命令に、瓜生は「ひらにご容赦を」と震えていたが、最終的に引き受けざるを得なかった。

 

「暗殺剣虎ノ眼」

組頭・牧与市右ェ衛門が、城からの帰り道に何者かに襲われて絶命した。嫡男である達之助は、当初執政会議で父と対立していた中老の戸田織部を疑う。しかし、戸田は執政会議でわざと対立したのだと、からくりを達之助に説明した。市右ェ衛門に遊興を批判された藩主・右京太夫が、虎ノ眼という秘剣を使う刺客によって、市右ェ衛門を“お闇討ち”にしたのではないかと戸田は語った。藩主以外には知らぬ暗殺者の家系を繋ぐものがいるらしい。達之介の妹・志野は、父の死んだときに許婚だった清宮太四郎と茶屋で会っていたことから、縁談を断り、以後どこにも嫁入りしようとしなかったが、・・・。

 

「必死剣鳥刺し」

藩政に口を挟んで混乱を生じさせていた藩主の愛妾・連子を刺殺した兼見三左ェ門に与えられた処分は、驚くほど寛大なものであった。その上、謹慎の後、三左ェ門は近習頭取に取り立てられ、藩主のそば近くに仕えることになる。しかし、これは陰謀であった。ある日、中老の津田民武から三左ェ門に密命が下る。それは、藩主家の別家当主であり家老であり、剣の名手・帯屋隼人正が、藩主を殺しに来るのを防げというものであった。

三左ェ門は26歳で亡妻の姪の里尾と暮らしていたが、里尾は離縁され、実家にも座る場所をもたなかった。

 

「隠し剣鬼ノ爪」

小姓頭を斬って重傷を負わせ郷入りとなっていた狭間弥市郎が、牢を破り近隣の民家に人質を取って立てこもった。狭間と剣術道場の同門で、勝利したことがある片桐宗蔵が討手に指名された。狭間は秘剣鬼ノ爪が宗蔵に授けられたことを不満に思い、討手に宗蔵を指名した。その夜、狭間の妻が宗蔵の元を訪ねてきて、狭間を逃がすよう懇願した。断られた妻女これからは上司の堀奉行に頼みに行くという。

『時雨のあと』の「雪明り」を一部取り入れて、山田洋次監督、永瀬正敏主演で映画化。

 

「女人剣さざ波」

浅見俊之助は、美人の姉とはほど遠い妻の邦江になじまず、茶屋でおもんと憂さ晴らししていた。家老・筒井兵左衛門は、最近本堂派が茶屋で盛んに集まっているので、俊之助に動向を探れと命ずる。俊之助はおもんを使って探らせ、本堂と豪商境屋の密会をつかみ、本堂派は一斉に捕まった。しかし、本堂派だった遠山左門がおもんを斬殺し、俊之助に果たし合いを申し込んできた。剣の腕に自信の無い俊之助は邦江にせめてひと太刀との決死の覚悟を伝えた。さざ波の秘剣を伝えられた剣の遣い手・邦江は、夫の腕では遠山にひと太刀も届くことはないと考え・・・。

 

「悲運剣芦刈り」

曾根次郎の兄が突然病死した。親族会議により、兄の妻・卯女(うめ)は実家に帰り、次郎が跡を継ぎ、許嫁の奈津を妻に迎えることになった。しかし、忍び込んで来た卯女と次郎は結ばれ、情事を重ねるようになった。噂を聞いた奈津の兄・石栗麻之助と次郎は果し合いとなり、・・・。

 

「宿命剣鬼走り」

大目付を辞して隠居した小関十太夫の長男・鶴之丞が、伊部帯刀の倅・伝七郎との果たし合いで死んだ。しかし、伝七郎が生きており、取り巻き2名の葬式が行なわれていた。さらに口論相手を斬り、脱藩した光村榛次郎(しんじろう)と心を通わせる18歳の長女・小関美根が立てこもり、10人以上の討手に討たれた。次男・千満太が伊部伝七郎と出会い・・・。

 

 

初出:オール読物、1976(昭和51)年~1978(昭和53)年、1981(昭和56)年1月単行本刊行

 

 

私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)

 

武蔵次郎の解説には「五味康祐が開拓した剣豪小説が昭和20年代末から30年代にかけて隆盛し、20年後に藤沢周平により復活した」とある。藤沢の剣豪小説では、剣技のバラエティが豊富で、複雑な技の説明が巧みだ。立合いに至る背景の説明、導入も見事で、切ない女性を自然にからませ、読者を小説に巻き込む技はまさに伝統芸。

藤沢周平は「私は、時代小説を普通思われているように型にはまった狭いものとは考えたことがなく、・・・テーマを現代にとったり、手法の上でも現代小説に近い試みをやってみたりする。」(『周平独言』)
確かに、読んでいるうちに現代の話のような感覚にとらわれることがある。このあたりも、時代物なのに読者が物語の中に入りこんでしまう原因のひとつだろう。

 

藤沢周平の略歴と既読本リスト

 

コメント
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