伊坂幸太郎著『逆ソクラテス』(2020年4月30日集英社発行)を読んだ。
全五編すべての主人公が小学生という、初の試みの短編集。
第33回柴田錬三郎賞受賞作。2021年本屋大賞ノミネート。
集英社の特設サイトで伊坂さんは語っている。
子供が主人公だと、地の文がどうしても幼くなってしまう。それから、子供の活動範囲となると、狭い世界の話になってしまう。では、どうすれば自分がわくわくするようなものが書けるだろうか、
……
デビューしたときは、奇妙奇天烈な話を書きたい、という気持ちが強かったので、そのころに、『逆ソクラテス』的な小説を発表していたら、そこで終わってしまっていたような気がするんですよね。二十年経って、現実的な世界を足場にしながらも、僕らしいテイストを出せるものを書けるようになったとも思っていて。
こんな話も出ていた。
冗談で、タイトルに(売れっ子の東野圭吾さんの)「ガリレオ」と付けたら注目されるんじゃないかな、と話していて、さすがにそれは駄目なので、じゃあ「ソクラテス」かな? ソクラテスといえば「無知の知」なので、「逆ソクラテス」で、先入観たっぷりの先生を登場させて、その先入観を子供たちがひっくり返していくという話にした。
「逆ソクラテス」
何でも自分の判断は正しいと思っている小学6年担任教師の久留米先生は、草壁を「ダメな子」と決めつけ、委縮させていると、安斎はいう。そんな先生の先入観をひっくり返そうと、安斎の作戦に加賀(語り手)や、優等生で美人の佐久間も協力する。カンニングで草壁に100点取らせたり、噂作戦を実行したり、プロ野球選手の野球教室で2人は必死に……。
「スロウではない」
悠太と司はよくドン・コルレオーネ(映画「ゴッドファーザー」のマフィアの親分)に相談すれば何でも解決してくれるという遊びをしていた。
「ドン・コルレオーネ、足が遅いと特に女子が馬鹿にしてきます」
「そんな女性がいるのか」「はい」
「では消せ」
運動会のリレー選手は、Aチームが足の速い渋谷亜矢などで構成し、Bチームはくじ引きで運動音痴の司と村田花が選ばれてしまった。転入生の高城かれんは渋谷のライバルになりそうな子だったが、……。
「非オプティマス」(オプティマスはトランスフォーマーの司令官の名前)
久保先生はきちんと注意しないおとなしい先生で、騎士人(ないと)は仲間と筆箱を繰り返し落として授業を妨害していた。将太はいつも同じ服しか着ていない転校生の保井福生(やすいふくお)と、父子家庭の潤と友達になる。
「アンスポーツマンライク」
小学校最後のバスケットの試合。エースの駿介、センターの剛央、三津桜(みつお)、歩、監督は磯憲。
「逆ワシントン」
謙介は倫彦(としひこ)と共に、靖が母が再婚した若い父親に虐待されているのではと疑う。物知りで大人びた教授(本当の名前は京樹)を誘い、確かめるために、まずドローンを手に入れようとする。
謙介の母は、ワシントン大統領が桜の木を切ったことを正直に言って褒められた話が大好きで、子供のころ、ワシントンになりたくて斧が欲しかったという。学校に行ったとき、いじめ問題に熱くなって子どもたちに演説したことがある。
掃除を終えた母は、「はなはだ簡単ではありますが、これでわたしの掃除に代えさせていただきます」と言い、軽く会釈した。(p235) (これは実際に、伊坂さんの奥さんの台詞だという)
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め、 最大は五つ星)
最初読んだときは本当に面白かったが、このブログを書きながら付箋を付けたところを中心に読み返してみると、よくあることなのだが、それほどでもないと思えてきた。一回でも楽しく読めたので「四つ星」。
「子供時代って、何にも考えてなかったなあ」と思うのだが、それでも子供なりの考えが描かれていて、ふと気がつくと、気持ちだけ小学生に戻っていた。
いくつかの短編では、小学生時代の話の後に、成人してから何人かが再会する話が続いていて、「ふむふむ」となる。内容は軽く微笑む程度であったにしても。
伊坂さんの作品は、どんな残酷なシーン、悲惨な場面でも、冷静な筆致で、底流にユーモアが流れている。この作品でも、例えばここ。
「…わたしも学校の先生なんだよ、こう見えて。久保君とは、大学の教職課程で一緒で」 給食家庭、と聞こえた。とにかく知り合いなのだろう。(p130)
え、ダジャレ! ここかよ!
罅(ひび)(p218)振り仮名なしで読ませるな!