吉田修一著『ミス・サンシャイン』(2022年1月10日文藝春秋発行)を読んだ。
僕が恋したのは、美しい80代の女性でした…。大学院生の岡田一心は、伝説の映画女優「和楽京子」こと、鈴さんの家に通って、荷物整理のアルバイトをするようになった。鈴さんは一心と同じ長崎出身で、かつてはハリウッドでも活躍していた銀幕のスターだった。せつない恋に溺れていた一心は、いまは静かに暮らしている鈴さんとの交流によって、大切なものに触れる。まったく新しい優しさの物語。
吉永小百合、推薦。
「彼女は亡くなり、私は生きた」 以下略
和楽(わらく)京子:鈴(すず)さん。80代。昭和の大女優。本名は石田鈴。ヴィンテージマンションの最上階に住む。自宅とは別のマンションにある荷物を歴史的資料として整理し、五十嵐教授に渡す仕事に一心を日給1万円で雇う。
岡田一心:大学院生。長崎出身。「いっくん」と呼ばれる。妹・一愛は9歳で病死。
市井昌子:鈴さんより一回りほど若いが、長年のマネージャーで、現在はお手伝い。
桃田真希:桃ちゃん。カフェの店員で、一心の恋人となる。
五十嵐教授:一心のゼミの担当教授。映画演劇史研究者。
林佳乃子:和楽京子の幼馴染で親友。鈴さん曰く、私と違って本当の美人。
和楽京子(鈴さん)は、国際的大女優。長崎で育つが、一度しか会ったことのない日系米兵カメラマンを頼って、夜汽車で一人東京へ出て、大手映画会社「日映」のカメラテストを受けた。成田三善監督作品で肉体派アプレ女優として人気となり、1950年代、千家監督の「竹取物語」でカンヌ国際映画祭グランプリ、彼女が女優賞を獲得する。1950年代の終わりの3年ほどハリウッドで「ミス・サンシャイン」として活躍。
以下、鈴さんの映画、舞台での活躍・陰りの過去の話と、一心の、鈴さんとの交流、桃ちゃんとの恋の行く末の話が交互に進む。
文藝春秋BOOKSでのインタビューで吉田修一は語っている。
1945年にアメリカの「LIFE」誌に掲載された、「ラッキー・ガール」という写真があるんです。原爆が投下された直後の長崎の焼野原で、防空壕から顔を出した日本人女性の写真で、……
その女性は、後に原爆症で亡くなるんです。……この写真を見ているうちに、彼女のありえたかもしれない人生について思いを馳せるようになりました。たとえば女優さんとかになって、アメリカに行って人気者になっていたら……とか。そうして生まれたのが鈴さんです。鈴さんの輝かしい人生を書くことで、(鈴さんの亡くなった親友)佳乃子さんのように、原爆に人生を歪められた人たちの人生を照らし出すことができるのではないかと。
初出:「文藝春秋」2020年10月号~2021年10月号
私の評価としては、★★★★★(五つ星:読むべき、 最大は五つ星)
邦画が黄金期にあった時代と、文字通り大スターだった女優たちへの憧れと懐かしさ。年寄りの私は、過ぎ去った時代、今や永遠に失われてしまったものへの哀悼に、静かな哀しみを感じながら読んだ。
京マチ子がモデルかなと思いながら、原節子もちょっとだけだが登場し、鈴さんがまるで実在している人物のように思えてきた。その鈴さんが、凛として、気高く、可愛く、ステキ!
一心や、桃ちゃんなどの鈴さんのまわりの登場人物が今一つ深みがないし、かといってキャラも立っていない点はあるが、懐かしのあの時代の憧れだった映画へのオマージュとして、私としては五つ星。
以下、メモ。
鈴さんが大スター・リチャードにべたぼれされた。
昌子「彼の後ろ盾はかなり役立ったでしょうよ」
一心「計算ずくってことですか?」
昌子「いっくん、あなたも、つまんないこと聞くわね。あなた、もてないでしょ。……男と女のあいだのことよ。愛も恋もあれば、計算だってあるわよ」
(う~ん、勉強になります。私がモテなかったのは、これだったのか!? )
鈴さんは、健康診断で「80代の健康優良児」と言われた。
恋心というのは嫌われたくないと思う気持ちで、愛するというのは嫌われてもいいと思う気持ち。