井の頭公園・三角広場への夕やけ橋から三鷹台駅方面への神田川を見る。
反対の井の頭公園前駅方面を見る 平日の9時半とあって、遊ぶ子もいない
3月7日の七井橋のたもとの桜の木(私の標本木)には固く小さな蕾があるだけ
池の東側には、遠く小さく、スワンボートと手漕ぎボートが一艘、真ん中あたりに水鳥が2羽
七井橋から西側には、刈られた水草と、むかし目障りだったが、今や景色におさまっているマンション
丸井から公園への入口の西側脇にはジンチョウゲ(沈丁花)が、年に一度の花舞台と芳香を放つ
保育園児がズラズラと七井橋を渡る。男の子と女の子がペア―になって手をつないでいる。男の子もまだこの年頃では嫌がらないのだろうか。それとも、現代では?? うらやましい! また、孫娘に期待するかな。
急に久我山稲荷神社へワープして、神社の東側に建つ「人心同」碑の話。
傍らの看板にはこうある
日本に亡命した朝鮮李王朝末期の政治家 金玉均が小笠原で友好を結んだ久我山出身の飯田作右衛門に頼まれて揮毫した漢文が刻まれています。
私(金玉均)は小笠原に来て、隣近所から君子を評される飯田作右衛門君と知り合いになった。
彼は遠く小笠原島に居て、武蔵野国(久我山)に住む父親に恩を返すこともままならない。老父の住む処に不孝の碑を建てて子孫の戒めにしたいと碑文を頼まれた。
ここにこの碑がある意味が薄い気がするが、まあいいか。
この看板の右下に、韓国の国旗があるのは揮毫が金さんだからだろうが、英国国旗は何故? 小笠原諸島と英国は無関係ではないが?