hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

「進駐軍がいた少年時代」を読む

2010年05月06日 | 読書2

長島芳明著「進駐軍がいた少年時代」2010年3月、講談社発行を読んだ。

20代以下の新人作家・新人アーティストをデビューさせる「講談社Birthプロジェクト」に寄せられた書下ろし作品。

敗戦後に進駐軍とともに生き抜く少年の物語。
昭和24年の群馬県。鈴木武士は米軍基地で働きながら生活していた。そんなある日、叔父が事業で成功し、故郷に錦を飾るために地元の太田市に米軍向けキャバレーを開くことになった。そこで武士はボーイとして米兵と仲良くなりながら働く。先輩達のリンチに苦しみ、辛くて辞めようとしていた矢先に幼馴染みの寧々子が店で働くことになる。やがて、朝鮮戦争が勃発し、周辺は目まぐるしく変わり始める。

「講談社Birth」のHPより
著者・長島芳明(ながしま よしあき)
プロフィール ■ 1980年、群馬県太田市生まれ。群馬県在住。現在は家業を手伝いながら積極的に執筆活動を続けている。2009年10月締切、第11回「講談社Birth」小説部門受賞作。(「お父さんの少年時代」を改題)
コメント ■ 『おまえのおじいちゃんは米軍キャバレーで働いていたんだよ』その話を父親から聞いたら、漠然と思っていた戦後のイメージと開きがありました。8月15日になると第二次世界大戦の前後がテレビなどで特集されますが、米軍キャバレーは扱われないのでその一端を伝えたくて書きました。日本の敗戦後の側面の一つとしてとらえていただけると幸いです。




私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読めば)

30歳の著者があの時代を良く調べ、よく書いていると感心する。しかし、あえて言うと、もっと惨めで、進駐軍に対する劣等感が強かったと思う。確かにこの小説の米軍基地周辺や、闇市など一部でははじけていたし、将来は明るくなるとの確信のない希望もあったのだが、その底にはやはり、敗戦、価値観の逆転、劣等国という闇があったと思う。
進駐軍を良く知っている人には物足りず、知らない人にはあの時代の空気を伝えきっていない。人のよいGIだけでなく、進駐軍を多面的に捉える目が欲しかった。(「本当はそんなもんじゃなかったんだよ」と言いたがる年寄りの繰り言)

小説としての大きなうねりがなく、そのまま流れていくのが今ひとつものたりない。

私が3、4歳だろうか、母に手をひかれて銀座を歩いているとき、進駐軍の兵隊さんが、「Oh!
Baby! 」とか言いながら、突然私を抱き上げ、高い高いをしたという。母は、ただオロオロ、オロオロ。
「進駐軍」ももはや、作家のおじいちゃんの時代になり、歴史小説の分野になってしまった。「降る雪や 明治は 遠くなりにけり 中村草田男」



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日本ペンクラブ名スピーチ集を読む

2010年05月05日 | 読書2

「日本ペンクラブ名スピーチ集」2007年11月、創美社発行、を読んだ。

「日本ペンクラブ」の例会等で行われたペンクラブ会員による講演録。浅田次郎や阿刀田高、椎名誠といった著名作家をはじめとする16人のスピーチの講演録、

日本ペンクラブは、ロンドンに本部をもつ国際ペンの日本センターとして1935年11月26日に創立されました。・・・文豪島崎藤村を初代会長・・・。
 日本ペンクラブは、その創立と歴史が示すように、平和を希求し、表現の自由に対するあらゆる形の弾圧に反対するとの精神に賛同するP(詩人、俳人、劇作家)、E(エッセイスト、エディター)、N(作家)が集まり、・・・。
/

誤訳のおかげで命びろいをした話 米原万里(2006年5月死去)
ロシア語の会議同時通訳を20年、約4千の会議に立会った。英語の場合、一人ぐらい堪能な人がいて「通訳が間違えたら指摘して僕の教養を見せつけてやろう」と手ぐすね引いている人がいるが、ロシア語の通訳者は絶対数が足りないので、値段上げ放題、質は下げ放題という。

日本のA外相がロシアのB外相と会談した。具体的成果なしの会談後のスピーチ原稿に一緒にサウナに入ったことをことさら強調して、「文字通り裸のつきあいをした」とあった。 「飾らない親密な交流をした」と訳して良いかと報道官に聞くと、「大臣はぜひ文字通り訳してくれ」という。米原さんはさんざん迷って、直前に再度、「例の表現ですが、B外相は同性愛者という噂があるので、会場は爆笑になると思うんですが」と言った。報道官の顔色が変わり、電話して、原稿は直ちに訂正された。

北極を食べた 椎名誠
世界中でトンデモナイものを食べた話のあとで言う。「日本ではすごく注意深くして、そういうカップ麺のようなやばいものは食べないようにしてるんです」

小説グリコ 阿刀田高
距離をお金に換算すると実感がわく。大阪・東京間550キロを550円、日本の南北3000円、月まで38万円、火星まで5000万円、太陽まで1億5000万円。

小説の自由と不自由 黒井千次
カルチャースクールの創作クラスで多いストーリーは、主婦が同窓会で男の旧友と会い、お酒を飲んで、二次会後、例外なくホテルに行って何かある話が多い。これに対しては、「実生活上は構わないのだが、小説ではこんなに簡単にホテルに行ってはいけない」と話す。
ひとつだけ感心した話がある。高層ホテルの部屋に男女が行き、いい雰囲気になる。突然、地震で大きく揺れると、男は電話に飛びつき、自分の家に電話する。女は興ざめして部屋を出てエレベーターで降りてしまう。降りてきた彼女は、(以下、白文字)下の電話から家に電話する

天明の浅間山大噴火を小説にして 立松和平
100戸ほどの村が、浅間山大噴火で、477人が死亡し、生存者は93人。名主の指導で、村の再生が行われる。生き残った男女を夫婦にし、老人・子供を養わせ、10組ほど家族を再構成する。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

最後の「あとがき 常在壇上」に浅田次郎が書いている。「学者なり、文筆家なりという人々は、もともとしゃべることが不得意なのである。子供の時分から人と付き合うよりも書物と付き合ってきたわけで、・・・」
題名は名スピーチ集だが、面白いのは1/3位だろう。現場で話を聞けば、会場の雰囲気にのって十分楽しんでしまうのかもしれないが、本で読むとつい冷ややかな目で距離を置いて批判的に読んでしまう。


その他
ユーモアについて アルフォンス・デーケ
アジアの子供と読書 高樹のぶ子
私のアラビアンナイト 下重暁子
天才を生む土壌と国家の品格 藤原正彦
遊び少々 中西進
私にとっての大阪と東京 眉村卓
中国と私 浅田次郎
まさかおいらが茶の湯とは… 山本一力
私の生きた時代と『永遠の都』 加賀乙彦
老いと文学・老いの文学 辻井喬
遅筆生活四〇年 井上ひさし






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林家こん平「チャランポラン闘病記」を読む

2010年05月04日 | 読書2

林家こん平著「チャランポラン闘病記-多発性硬化症との泣き笑い2000日」2010年3月、講談社発行を読んだ。

TV番組「笑点」で大喜利メンバーの一番右側にいて、オレンジ色の着物を来て大声をだしていた落語家林家こん平の闘病記だ。ご飯と酒と、そしてなにより仕事が大好きで、TV、地方公演と元気いっぱい飛び回っていた。生まれてこの方3回しか行っていなかった病院嫌いのコン平さんが、最近身体の不調が続くなと思っていた2004年8月、笑点の楽屋で意識が混濁し、ろれつが回らなくなる。
多発性硬化症だと診断が確定したのは、2005年1月という。多発性硬化症は身体のいろいろなところの神経がおかしくなったり、治ったりを繰り返す、特に治療法がない難病だ。こん平さんはもちまえのファイトで厳しいリハビリに励んでいて、だいぶ回復しているが、高座復帰はまだまだのようだ。

この本では、以上の経緯、経過と、これまでの彼の人生が語られる。
昭和の爆笑王と言われた林家三平に弟子入りしようと新潟から15歳で上京した極貧の弟子時代、なまり克服にも苦労する。あれやこれや気を利かせて飛び回る前座時代。師匠から「人の嫌がる仕事をやりなさい」「寄席の世界では全員がライバルなんだから、前座時代には友達をつくってはいけない」と教えられる。負けず嫌いで元気なこん平さんも厳しいイジメにあう。
そして、若くして死んだ三平師匠の弟子たちの面倒を見るまで、さらに闘病生活、リハビリと続く。



林家こん平は、1943年新潟県生れ。1958年上京、林家三平に弟子入り。1966年TV番組「笑点」に出演。1972年真打昇進。2004年8月声帯を患ったという理由で入院。2005年多発性硬化症と診断される。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

笑点の挨拶で、「なお、会場の皆様にお知らせがございます。私の帰りのかばんには、まだ若干の余裕があります」といい、会場の観客と共に「1、2、3、ちゃら~~~ん」と大声でバンザイする元気印のコンちゃんの姿を笑点で見かけなくなって6年。私の好みの落語家ではないが、なにかが欠けたままのようだ。「笑点」ファンの私は、楽しみにしてこの本を読んだ。
たしかに、落語界の修行時代の厳しさはよくわかり、派閥の激しさも推測できたが、落語家の本にしては想像より「笑い」が少なかった。コンちゃんの頑張りと負けん気だけが匂ってきて十分楽しめない。

コンちゃんは、なにかというと、生れは「チャーザー村」というのだが、本当に「千谷沢村(ちやざわむら)」出身だと知った(だから何なの?)。






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「ヘッテルとフェーテル」を読む

2010年05月02日 | 読書2
マネー・ヘッタ・チャン著「ヘッテルとフェーテル-本当に残酷なマネー版グリム童話」2009年12月経済界発行を読んだ。

こうすれば儲かるという本ではなく、「こんな事うかつに信じたら損しますよ」という本だ。心配性でいつも不安な妹、ヘッテルと、金もうけのことばかり考えてる兄、フエーテルが、ついつい騙されて悲惨なめにあうという8話。



ヘッテルとフエーテル
百戦百勝の投資方法を見つけたとのメールが入る。その後、5回連続で送信されてきたメールの銘柄の株価はすべてすぐあがった。興奮したフエーテルは100万円を投資し、すべて失う。なぜ、5回連続で当たったか? 答えは、白字で以下に書く。
1000通のメールを出し、ハズレ500人、当たり500人となり、その当たり500人からさらに250人が連続して当たり、5回連続で当たったメール62.5通の一つをたまたま受け取ったのが不幸なフエーテルだったという訳だ。

カネヘルンの笛吹き
普通のOLがいつか人と違った何かができるはず、そう信じて、役にも立たない自分探しのセミナーに大枚をはたいたり、本屋の前に平積みされている、今だけが旬の本を読んだりしていた。その一つの “カネヘルン・ミセス・インディ”(多分勝○和○さん)の多くの本を読み、マインドアップ、速読、都内移動は自転車、お金はすべて投資信託と、そのとおり実践したら結局悲惨なことになった。

ピノキオ銀行
ピノキオミツギシGFJ銀行にだまされて家を失う話。

アホスギンちゃん
介護費不正受給がばれたヘルスンの子会社で働くが、・・・。

ヤンデレラ
円天ならぬ¥天事件。

ヘッテルと7人のODA・NPO
赤い羽根のように寄付してもらうホワイトバンドのお金はどこへ?

王様の金はロバの金
国の売り出したNPP株(NTT)の悲劇。

裸のフエーテル様
借金の借り換えで悪徳弁護士にひっかかる。 
 

著者のマネー・ヘッタ・チャンは、「小難しいことを簡単に」をモットーとするビジネスサブカルチャー作家。本業は、5年間負けなしのプロ投資家(自称)。ブログは「マネー・ヘッタ・チャン 物語るモノガタリ」。



私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)

題名ほど面白い本ではない。さすが、「日本タイトルだけ大賞2009」受賞作だけある。

内容は、新聞、TVなどのニュースを見聞きしていれば、知っていることばかりだ。しかし、事件を起こす人物・企業の仮名のネーミングには苦笑させられるし、皮肉も効いていて、楽しく、簡単に読める。


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