かぶれの世界(新)

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収束し始めた国論

2006-08-21 16:30:21 | 国際・政治

終戦の日の小泉首相の靖国神社参拝に大騒ぎしたマスコミは、世論が参拝を支持する結果をみて一気に沈静化したようだ。期待していた中国や韓国が思ったより騒がなかったものだから根拠を失った感がある。

小泉首相が提起した問題が毎年繰り返される論争を見て国民は学び、5年目にして混沌から考え方に方向感が出てきたように感じる。それは言論界に影響を与えてきた戦後リベラルの主張が、一つ一つ国民の信頼を失っていくマイルストーンであるように私には感じる。

靖国神社首相参拝が引き起こした論争に対する(私の考える)国民の結論は、以下のように収束しつつあると考える。考えるキーワードは戦後平和に繁栄を築いてきた「日本人の誇り」であるように思う。

1.     靖国神社参拝の是非は日本が決めることで、外国が口を差し挟む事ではない。中国・韓国の非難は真剣に考える機会を与えた。思い付きとか、風潮に流されたとは私には思えない。恫喝されて日本人の誇りが目覚めた。やるなら日本人が戦争総括すべきという考えである。

2.     それは必ずしも現状の靖国神社の状況に国民が満足しているという訳ではない。戦争犯罪人(A級戦犯)合祀がよいとは考えていない。分祀か別の追悼施設かなどの方法論についてはまだ定かではない。

3.     中国・韓国の度重なる非難が日本の若年世代(20-30代)に民族主義の火をつけたかどうかはまだ分からない。中韓の感情的な反日デモ、自らの歴史教育を頬被りした教科書非難、一方的領土主張などを伝えるマスコミの伝え方、平たく言えば扇動に乗らず、国民は冷静に判断したように感じる。が、まだわからない。

靖国神社論争の新たな展開は戦後史の転換点になる可能性があると私は考える。それは戦後リベラルと決別したインターネット世代がいよいよ政治的力を持つようになってきたからである。党内支持(メディアを含め既存の職業政治家の支持)より世論(支持率)をバックに権力行使した小泉首相の手法がこの傾向を加速させたことは間違いない。靖国神社参拝論争から見えてきた状況(仮説)を以下に整理する。

4.     戦後リベラルを代表するメディアに対する信頼は冷戦終結後共産主義国の内情が暴露され徐々に傷ついてきたが、今回はかなり手痛いダメージを受けたように感じる。彼等の発想は外国がどう考えるかばかりで、絶対座標の原点に日本のあるべき姿が見られないことが5年間の論争でバレバレになった。最早彼等の世論形成手法は機能しなくなった。今後、微妙な路線修正をする可能性大と考える。

5.     既存メディアが国民からやや遊離し始めたのは、若年世代の能動的ネチズン(インターネット市民)のタッチを失ったからである。元々タッチが無かったが彼らが無力の間はそれでも良かったというべきかも知れない。中期的には既存メディアが影響力を低下させ、新聞は発行部数を減らしビジネス的にも衰退する可能性が高い。

6.     台頭するネチズンは過激で原理主義化する傾向が見られる。それが何故か、日本特有の現象かどうかは定かでない。彼らが日本のネオコンの支持母体になり政治力を持つ可能性があると私は予感する。今後「熟年リベラル」と、右傾化した「ネオコン・ネチズン」が新たな政治勢力になり、政策決定プロセスに取り込まれる可能性がある。■

コメント
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