かぶれの世界(新)

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長野県からのメッセージ

2006-08-08 15:42:21 | 国際・政治

田中氏の長野県知事三選が阻止された。改革が売りの無党派知事が、筋金入りの郵政民営化反対の村井元衆院議員に敗れた。長野の判断の意味が何なのか非常に興味深い。国政レベルで「改革疲れ」といわれる雰囲気が生まれつつあるが、長野はその先駆けなのだろうか。敗因は無党派層の支持を失ったとの分析が大半だ。長野県知事選結果の私の読み解きを紹介する。

直接敗因は身内の反乱

報道を見ると選挙結果は田中知事の政策に対してではなく、政治手法に対するNOだと分析されている。彼が始めて知事選に臨んだ時支援した5人のうち2人が去り、2人は反対派に回り、残り1人が未だに知事を支えているという。前回投票した40%が今回対立候補に投票したという。

一言で言うと彼のかつての支持者が反対に回った。行政の実行部隊である県の職員組合の支持が40%からたったの3%に減ったというのが驚きだ。政策が良いの悪いのという次元ではない。6年やって身内からこれだけ嫌われたら負ける。しかし、田中氏個人の評論はしない、社保庁のように組織全体が腐っているかもしれない。

経済が悪化すれば誰も勝てない

第2の敗因は経済である。報道によると田中県政の6年間で長野県経済が衰退したと指摘されている。田中知事時代に導入された政策決定・行政の透明化、ハコモノ優先の公共事業抑制は長野県民の間によく受け入れられていた。談合は減ったのは結構だが会社が左前になっては困る、代わりに元気な産業が出てくることも無い、もう痛みには耐えられないという声だ。これが真の争点になれば誰も選挙は勝てない。(全て土建業だと何をかいわんやだが、データが無い)

民意のネジレに負けた

長野県民は知事と議会に違った政策の代表を送り込み戦わせ、今回議会側を選んだ。県と議会の政策のネジレは長野県民の選択であり、田中氏に与えたくびきであった。国政レベルでは郵政民営化の政策の是非を問うた衆院選で小泉首相に勝ちを与え、政策のネジレを解消させた。しかし、長野県民は田中知事はネジレを解消できないと判断し見限ったのだ。

民意の逆ネジレを克服できるか

県民にとってみれば随分悩ましい判断を強いられたことになる。新知事が政策公約(良く分からない)を実行すると、県民は実は政策については田中知事を支持していた等と文句は言えない。そんな事を言われたら新知事も悩ましいだろう。利権政治が復活し、ダム建設が再開すると県民はどう反応するのだろうか。

民意はWhatよりHowだった

そもそもは全く考えの違う知事と県議会議員を選んだことが混乱を招いた。今回、長野県民は自ら作ったネジレを投票で決着させた。改革とか政策論を戦わすより県庁・議会が一体となって汗を流せと、つまり長野県行政の効率化を選択した。争点はWhatよりHowであった。そんなことは長く続かない、長野県政はWhatの議論に必ず戻ると私は予測する。

「劇場型政治」は終ったか

新知事の施政方針と県民の反応が今後どうなるか、国政レベルにも微妙な影響を与えるはずだ。「劇場型政治」が曲がり角に来たと私は考えない。いわゆる「シングル・イシュー」選挙は争点を明らかにし、候補者から政策に対する立場の曖昧さを奪い取り、選挙民の意志(1票)を行使できることを証明した。

従来型の政治手法に戻そうという動きが民主・自民両党にある。しかし、「劇場型政治」でチケットを手に入れた政治家も無視できない勢力にまでなった。今回熱が冷めたとしても、選挙民も一旦得たこの醍醐味を手放すとは思えない。無党派層にとって唯一政策決定に影響を与えるプロセスなのだ。

政治のリアリズム

対照的に嘉田新滋賀知事は選挙時に公約した政策を先月末の県議会で早速後退させた。選挙後に分かった現実に対応するという理由だ。田中知事に比べ議会との対立を避ける現実的なアプローチを取った。長野県を参考にしたことは間違いない。既に失望の声も聞こえてくるが、まだ評論するには早すぎる。これが政治のリアリズムだ。

総論と各論のせめぎ合い

変化を起こす時は首相と議会、知事・市長と議会の関係が緊張するのは当然である。それは総論と各論のせめぎ合いである。総論は改革推進、各論は既得権益保護の形をとる。しかし、判断(投票)する人は同じ人である。換言すると、国や自治体の民度が問われている。長野県からのメッセージは捻りがきいて興味深い、まだとても理解した気になれない。■

コメント (2)
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