かぶれの世界(新)

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オヤジの背中

2014-09-19 21:12:01 | 日記・エッセイ・コラム

 午前中に葬儀に出席した。享年87才と言うから母より一つ年下の、ご近所のオジサンだ。葬儀場に行くと、普段は揃って顔合わせすることはないご近所の人達が沢山いた。先月に続いての葬式だ。高齢者になった我々団塊世代は、平均寿命を逆算すれば親が死んでいく世代だ。

 「百姓は長生きする」という’田舎伝説’に従うと、我々の親世代の享年は平均寿命プラスアルファになる。こんなバカ話を隣の家のご主人としてる間に、興味深い父親の思い出を聞いた。大地主だった父親が病床にいる間も彼はずっと守られていたことに、死んでから気が付いたという。

 父親は全く動けず意識もはっきりしないままずっと病床にいたのに、俺を守ってくれていたと彼は言った。亡くなってすぐ色々な所から強い逆風が吹き始めて、父親の存在に気が付いたという。それまで父親に感謝することもなかったのに、死んで初めて気が付いたという。

 私はそれを聞いて成程と納得したが、同時に辛かった。40年近く前に父が死んでも別れて住む私は逆風も何も感じなかった。逆風に耐えたのは田舎にいた母親だった。母が受け止めてくれていたのだ。言われてみれば勝気と言われる母にそういう気配を感じたことがある。その後結婚し子供が出来てもまだ私は気づかなかった。

 働き始めて初めて父親の苦労を知るとか、子供を持って初めて親のありがたさが分かるとかいう。だが私は、父が死んだ年齢になって10年以上経った今、子供が結婚して孫が生まれた頃になって、やっと父を思い出して感謝する気持ちが起き始めた。

 残された人生の間に子供達に何をしてやれるか考えると、父がしてくれたことを自然と思い出した。ああ、そうだったのかと。何も口に出して言わないオヤジの背中が何を言っていたか、気が付くのに40年近くもかかった訳だ。

 近年田舎にしょっちゅう戻って母の様子を見るようになったのも、その罪滅ぼしみたいな気持ちがある。もう手遅れだけどと言うと、上記の彼は「皆そんなものだ、それでいいんじゃないの」と言った。そうかもしれない、しかしオヤジとまともに話し合った記憶が全く無いのは今更ながら残念だ。■

コメント
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