昨日の高尾山頂はまるで渋谷の交差点のような凄い人出だった。先週もそうだったらしい。長男のプランに従って息子と孫二人で相模湖から急坂を辿り小仏城山に登り、山頂で昼食し一丁平経由で高尾山に登った。京王線の高尾駅で合流し中央線に乗り換え相模湖駅で下車した。
中央線の車内は8-9割が登山客という異様な風景だったが、相模湖駅に下車したのは数人で駅の周りの商店街も閑散としていた。相模湖から登る山なんて登山とは言えないという印象は私にもあった。その先の塩山辺りから南アルプスにとりつく中央線乗客が多いのが普通ではと想像した。
だが、相模湖ダム下流の弁天橋から登り始めた登山ルートは急坂で、後期高齢者直前の私には意外にも手ごわかった。数十年前に下山したことがあるが覚えていない。小2の孫はドンドン先に行き必死で付いて行くだけだった。駅に下りた時から風が冷たかったが気が付くと汗だらけだった。
急坂ですれ違った登山グループやお土産屋のオバサン達と交わした会話は楽しく気分転換になった。彼等の多くは中高年のハイカーが多く、子供連れは見かけなかった。途中から富士の裾野が美しく見えたが肝心の頂上は雲に隠れていた。2時間足らずで城山頂上に着いた。
頂上の小屋の周りに沢山あるベンチは登山者で埋まっており、長男が見つけたテーブルで昼食をとった。食事を始めると直ぐ寒風で体が震えた。気が付くと空は濃い灰色の雲に覆われ、あられがぽつりぽつり降り始めた。長くはいられない、直ぐに高尾山に向かって歩き始めた。
相模湖からの急坂の山道に比べ、すれ違うハイカーの数は急増した。高尾山に近づくにつれその数は益々増えて、頂上はハイカーで一杯でテレビで見る渋谷の交差点状態だった。初めての経験だった。ハイカーらしくない格好のケーブルカーで来たと思われる若者達も多かった。
私は記念に写真を撮ると言って家族と離れ頂上をウロウロしているうちに家族を見失った。電話をかけたが繋がらなかった。山の頂上の人の群れの中で電話をかけて家族を捜すなんて信じられない、と思いながら捜したが見つからず、あきらめて稲荷山コースから下山を始めた。
6号研究路との分岐点辺りで息子から電話があったがもう引き返す元気もなく、駅で合流することにしてそのまま歩き続けた。その後も多くのハイカーに出会い、ケーブルカーの駅から京王線の駅へ続く道はハイカーから観光客でぎっしり。正直言ってこんな経験は一度でこりごりだった。
それから小1時間4号研究路を通ってるはずの家族は現れず、寒風の中駅前のベンチで待つ羽目になった。寒い思いで待った挙句、彼等は温泉に入って行くと言って分かれた。息子はそれでも顔を合わせてサヨナラするのが大事なのだという。私なら割り切って分かれるが、今回は彼のプランだ。
いずれにしても、楽しい家族の山登りだった。孫達が元気に山を登って行く姿を見るだけで嬉しかった。今日の為に買った超安価な中国製トレッキングシューズも、昔の厚手の靴下で足幅を調整し無事に役目を果たした。来春の雲取山登山は、私の体力が問われる登山になりそうだ。■
中央線の車内は8-9割が登山客という異様な風景だったが、相模湖駅に下車したのは数人で駅の周りの商店街も閑散としていた。相模湖から登る山なんて登山とは言えないという印象は私にもあった。その先の塩山辺りから南アルプスにとりつく中央線乗客が多いのが普通ではと想像した。
だが、相模湖ダム下流の弁天橋から登り始めた登山ルートは急坂で、後期高齢者直前の私には意外にも手ごわかった。数十年前に下山したことがあるが覚えていない。小2の孫はドンドン先に行き必死で付いて行くだけだった。駅に下りた時から風が冷たかったが気が付くと汗だらけだった。
急坂ですれ違った登山グループやお土産屋のオバサン達と交わした会話は楽しく気分転換になった。彼等の多くは中高年のハイカーが多く、子供連れは見かけなかった。途中から富士の裾野が美しく見えたが肝心の頂上は雲に隠れていた。2時間足らずで城山頂上に着いた。
頂上の小屋の周りに沢山あるベンチは登山者で埋まっており、長男が見つけたテーブルで昼食をとった。食事を始めると直ぐ寒風で体が震えた。気が付くと空は濃い灰色の雲に覆われ、あられがぽつりぽつり降り始めた。長くはいられない、直ぐに高尾山に向かって歩き始めた。
相模湖からの急坂の山道に比べ、すれ違うハイカーの数は急増した。高尾山に近づくにつれその数は益々増えて、頂上はハイカーで一杯でテレビで見る渋谷の交差点状態だった。初めての経験だった。ハイカーらしくない格好のケーブルカーで来たと思われる若者達も多かった。
私は記念に写真を撮ると言って家族と離れ頂上をウロウロしているうちに家族を見失った。電話をかけたが繋がらなかった。山の頂上の人の群れの中で電話をかけて家族を捜すなんて信じられない、と思いながら捜したが見つからず、あきらめて稲荷山コースから下山を始めた。
6号研究路との分岐点辺りで息子から電話があったがもう引き返す元気もなく、駅で合流することにしてそのまま歩き続けた。その後も多くのハイカーに出会い、ケーブルカーの駅から京王線の駅へ続く道はハイカーから観光客でぎっしり。正直言ってこんな経験は一度でこりごりだった。
それから小1時間4号研究路を通ってるはずの家族は現れず、寒風の中駅前のベンチで待つ羽目になった。寒い思いで待った挙句、彼等は温泉に入って行くと言って分かれた。息子はそれでも顔を合わせてサヨナラするのが大事なのだという。私なら割り切って分かれるが、今回は彼のプランだ。
いずれにしても、楽しい家族の山登りだった。孫達が元気に山を登って行く姿を見るだけで嬉しかった。今日の為に買った超安価な中国製トレッキングシューズも、昔の厚手の靴下で足幅を調整し無事に役目を果たした。来春の雲取山登山は、私の体力が問われる登山になりそうだ。■