かぶれの世界(新)

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独居老人の料理

2013-03-10 22:13:05 | 日記・エッセイ・コラム

作るのはうんざり

 何を作って食べるか田舎に暮らす老人にとって毎日巡ってくる悩みの種だ。先日1週間分の食料をかごに入れてレジに持って行き、思わずため息をつくとレジのオバサンが気付いて目が合った。「主婦の大変さが分かったよ」と言うと、「そうでしょう」としたり顔で返事が返ってきた。

 決して嫌と言うわけでもない、料理が好きで上手くなりたいとも思わない、ただ淡々と作り続けるのに飽きた。美味しいものを作りたいという野心はない。料理を作る時間に飽きた。だが、作って食べなければ生きていけない。エネルギー補給という点では妥協できない。

万能の冷凍保存

 正確に言うと美味しいものは食べたい。時間がかかり面倒臭いプロセスが不要ならやる。その一つがご飯やパンを積極的に冷凍する、保存より味を良くする為だ。以前は一旦冷ましてから冷凍したが、最近家内に教わり熱いままご飯を冷凍する。炊き立てのうまみを保つより、電子レンジで解凍後のモチモチ感が好きだ。冷凍する時に澱粉化が進むのではないかと想像する。

 食パンも基本は同じだ。買ってくると直ぐに冷凍室に放り込む。カチカチに凍ったパンを電子レンジに30秒もかけるとフニャフニャになる、トーストすると魔法をかけたみたいにモチモチして美味しくなる。食感の差だから美味しいと感じるのは個人の好みの差かもしれない。ジャガイモや栗は冷蔵保存すると美味しくなる、それと同じ現象が冷凍でも起こるのだろうか。

玄米に挑戦

 料理嫌いの割には健康に良いものは積極的に取り入れている。その一つが玄米だ。地産地消の市場ではオーダーメイドで精米をやってくれる。昨年8分づきに挑戦したが標準白米と味は変わらなかった。今回は一気に玄米に行くか迷った。

 市場で売り子の若者に聞くと玄米は口の中でパサつくが、5分くらいまでなら違和感がないと勧められた。玄米を買って後から不味いので精米してくれと戻ってくる顧客がいるという。それを聞いて今回6分づきにしたが、私には今迄と変わらない味だった。冷凍後した後の味も同じだった。

最後まで何になるか分からない

 時間が来れば何か食べるものを作らなければならない。外食するにはケチすぎる。しかし、何にするか決まらない。「決められない料理」だ。芋・ニンジン・カブ・玉ネギ・肉・クズシ・ネギ等ストッカーには食材がある。とりあえず何を作るか決めず、食材を一口大に切って油を引いた鍋に入れ玉ネギから順に入れて煮る。

 暫く沸騰させアク取りをしてニンジンに箸が通る頃に、カレーかシチュウのルー、はたまたダシ入り味噌かメンツユを入れるか決める。そんな適当な作り方では美味しくならない、よくもそんなものを食べると言われれば否定しない。でも、食えないほど不味くはないし栄養補給にはなっている。■

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アベチャン、頼むぜ

2013-03-09 23:31:23 | 社会・経済

 一昨日の午後は義弟と昼飯を食いお茶を飲みながら政治談議にふけった。田舎にいる間ほとんど議論することがないテーマで思わず力が入った。昨年は彼が住む大阪氏市長の橋下氏をどう評価するかの議論だった。今回は安倍政権が対象だ。我々の興味をもつテーマは普段批判するテレビの発想と変わらないが、実は二人ともリーマンショックで手ひどい損失を被り安倍政権が成立して以来損を取り戻した背景がある。恩義がある。どう議論したって安倍首相はこれまでのところ上手くやっているというのが二人の結論となった。こんなに話が合うのは珍しい。

 だが、二人とも安倍首相が衆院選までに打ち出した政策は疑わしいと本音では思っていた。何時か新政権が作り出した市場の高揚感が失速する日が来ると恐れを持っていた。我々の最大の関心は何時まで続くか、換言すると売り時はいつか、その前兆は何か、であった。言い換えると完全に信用できないのだ。我々の間ではアベノミクス云々より、親しみを込めて「アベチャン、頼むぜ」だ。

 だが、安倍首相の出足は極めて上手くやっている。海外メディアが一斉に指摘した右翼的性格を抑え、既得権益に切り込み痛みを伴う構造改革も手をつける気配がない。もっぱら万人が痛みを感じることない経済政策でサービスに努めている。その分着実に財政赤字を増やしているのだが。手堅い閣僚の任命で食言や失言でマスコミの攻撃を受けその対応に追われることもない。

 前回の失敗を教訓にして実に上手くやっている。その上、今回は外部環境の良さが彼を味方している。米国経済は回復基調が鮮明になり新興国も持ち直して来て、世界経済動向に敏感に反応する日本企業の収益が改善、更に円安が後押しした。量的緩和で金余りの海外投資家は安倍政権下の日本企業を買いと見て投資を増やし、日本の投資家にも火をつけた。気がつくとリーマンショック前の状態に戻った。

 一方で多くの専門家が指摘するように、三本目の矢である構造改革・規制緩和については依然として不透明だ。構造改革のきっかけにTPPを利用する作戦は悪く無いが、交渉参加に反対する声は根強い。TPP参加表明した安倍政権が参院選に勝つためには都市の票だけでは足りない。1票の格差が5倍もある参院では地方の支持が必須だからだ。しかし彼が逡巡すると海外投資家は日本市場から逃げて行くだろう。当然のことながら彼らに忠誠心など全くない。

 次に心配なのは金利上昇だ。原発の稼動が制限されエネルギー輸入に頼るようにも拘らず円安が進行すると、経常赤字が更に悪化するのは避けられない。それを見て海外投資家が日本に投資続けるためには高い金利を求め、一方国内調達では不足する事態が少しでも予測されると事態は一気に悪化する。800兆円の借金を抱えた国の財政が破綻の道を歩む。安倍政権の金融政策は時限処置でなければならない、だがいつ何が出口か誰も怖くて聞けない恐ろしさがある。

 新政権成立後100日間は批判しない期間(grace period)というが、日本では主要メディアでも些事をあげつらい短命政権作りに貢献してきた。失敗の教訓をフルに生かした安全運転の安倍新政権に対し国民は高く支持し、揚げ足取りの機会を狙うマスコミにつけ込む隙を与えてない。後ろ向きの対応に無駄な時間を使う悪循環を避けるのは極めて重要だ。だが、安全運転をいつまでも続ける事は出来ない。個人的には売り時を探りながら、祈る気持ちで見守っている。■

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私的・ホワイトアウト

2013-03-06 18:28:43 | 旅行記

 先日の大吹雪で北海道に多くの犠牲者が出たと痛ましいニュースが報じられた。犠牲者の多くが親子だったのも心が痛い。北海道の人達は雪には慣れているはずなのに何故と思ったが、強い風で降雪が巻き上げられ視界ゼロになるという現象は彼等にとっても経験のないことらしい。

 犠牲者が発見された場所が自宅とか人家からそれほど離れていなかったそうだ。山岳遭難が山小屋のすぐ近くで起こった例が何度もあるのを思い出した。今回、北海道では公道上で山の上と同じことが起こった。もう少しで我が家と分かれば頑張れたかもしれないと思った。

 最近の山岳遭難の場合携帯電話で救助を求めるケースをよく耳にする。だが、私が見たニュースでは携帯電話を使ったか触れてない、こんな時にこそ使うべきだと思うのだが。何故なのか、携帯を使わなかったのか、使えなかったのか不明なのも気になる。

 その次に思い出したのは、80年代末から90年代に頻繁に出張したボストンで経験した大雪だ。日本ほどの豪雪では無くともローガン空港が雪で閉鎖される事はよくあった。無事到着してもレンタカーで郊外の目的地に着くのが大変だった。彼の地は雪はそれほど深く無いが、気温が下がり零下20℃も珍しくないので注意するよう助言を受けていた。

 東海岸のボストンには80年代はアンカレッジ経由、その後航続距離が伸びても直行便がなく西海岸かシカゴ、ニューアーク経由で行き夕方を過ぎてやっと着いた。雪が積もると州政府と地元業者の契約があって主要道路に凍結防止の塩が撒かれたので普通のタイヤで運転できた。

 だが、郊外に向かうと人家がなくなり高速を降りると、元々センターラインも路肩はっきりしない森の中の街路灯が殆どない暗い道を走らないとホテルに着かなかった。旅慣れしていた同僚から、当時は珍しかった車載電話のついた日本車を借りろと助言を受けていた。

 万が一郊外で車がエンストとか事故を起こすと、朝まで交通がなく車中で野垂れ死にする確率がゼロではないからという。当時アメ車は直ぐ故障する定評があった。だが、電話付の日本車のレンタカーなど先ずなかった。当時本当に心細かったのをニュース映像を見て思い出した。

 もう一つ思い出したのは、ワシントン州のレニア山麓で初秋にハイキングに出かけた時のことだ。レニア山の西側にあるコースでカーボン川沿いを上りIpsut Creek(発音不明)から歩き始めた。観光客が来るところではなく、寂れた感じのレンジャーステーションの小屋辺りにハイカーがチラホラいた記憶がある。

 暫く歩くと途中から予定外に猛烈な雪が降り始めた。瞬く間に道が真っ白になり木陰に入って様子を見た。だが、雪は降り止まず気がつくと途中で出会った下山中のパーティの足跡が消えていた。その日は秋の気楽なハイキングの積りで、万が一の露営の為の寝袋しかなく万全の用意をしてなかったのが結果的に良かった。

 この天候では無理と比較的早く判断して下山を開始した。何ともなかった往路が雪で埋まり、片側が絶壁の危険な帰路となった。暗くなり始め急がないと益々危険になる。ヘッドランプも携帯してなかった。こんなところで露営なんか絶対嫌だと必死で歩いているうちに小屋の明りが見えてホッとした。不思議なもので、小屋に近づくとそのあたりは雪が小降りだった。

 翌年の97年7月絶好のハイキング日和の日に、同じルートを歩いた。ガイドブックの3コースを一気に踏破した。天候が良いと何て事はない軟弱な、しかしレニア山麓の雄大な景色が広がる美しいコースだった。当時見たガイドブックを開いてルート確認すると、3人の中年女性パーティと知り合い意気投合したとメモが残っていた。そっちの事はすっかり忘れていた。■

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田舎暮らし雑感13春(2)

2013-03-03 21:44:18 | 日記・エッセイ・コラム

 典型的な三寒四温の気候になった。夜と昼の体感温度差が大きくなった。天気予報の通り夜中に零下になり、日中の日陰も寒くて震えるが、日差しは強くなり春の暖かさを感じる。近所の日当たりの良い通りに面した庭の桜の花がもう五分咲きになった。私の実家は多分2時間程度日照時間が少ないが、椿の花が開きカイドウも一輪二輪と咲き始めた。

 三日前に久しぶりにジョギングした。約5km地点で体調に相談し折り返し、計10km走ってみた。翌日は筋肉痛が出た。翌々日の昨日が筋肉痛のピークだったが、今日は殆ど痛みが無くなった。何故か痛みが1日遅れなかった。何かの理由で体内の化変化が起こり若返ったのか。

 先週、ワインが無くなったのを機会にアルコールを抜いてみた。最初の夜は寝つきが悪く大変だったが、二日目は普通に眠れた。三日目は寧ろ熟睡できた。東京にいる間はお酒好きの家内に合わせ、私もワインは好きなので毎日のように飲んでいた。だが、田舎にいる間に飲む日と飲まない日を5050にしたいと思っていた。最初のトライはオーケー、問題は続けられるかだ。

 庭のハッサクを採り入れた。本来なら初霜の前が採り入れ時期と母に教わっていたが、昨年は11月に東京に戻ったので採り入れなかった。試しに1つ食べてみるといつもより甘味が強かった。放っておけば熟して落ちる前の甘さだ。直ぐに採り入れれば大丈夫と考え、友人や子供のうちに送ってやった。

 一昨年に庭の手入れをした時、庭木と同じように思い切ってハッサクの木の枝をバサバサ落とした。その時からハッサクの個数は増えたのだが、7割がたの実が小さくなった。切ってはいけない枝を落としたようだ。今日、再度小さい実を食べてみると甘いけど僅かに苦味がある。真冬の寒気に晒されたせいか、もしくは小さくてしっかり育たなかったせいだろうか。送ったハッサクの無事を祈る。■

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吝嗇の系譜(新)

2013-03-02 16:02:00 | 日記・エッセイ・コラム

1年前に私自身がケチだと宣言する記事を投稿した。その時、褒め言葉の積りで私の妹は1ランク上の倹約家だと投稿した。(http://blog.goo.ne.jp/ikedaathome/d/20120307 )だが、1週間前に食事した義弟によると、彼の細君(私の妹)は私が身なりを構わずよれよれの格好でいる、ケチもここまで来るとみっともないと言っているらしい。普段辛らつな彼女らしい口振だ。

 折角、筋金入りの倹約家だと褒めたのに妹は私をそんな風に見ていたのかと思った。だが、指摘はその通りであり否定はしない。私も妹も同じ血が流れているが方向が違うみたいだ。ケチなのは間違いないが、何でもケチる訳ではない。当たり前だが必要な物には使う。必要な時にお金がないのは、本人がみっともないだけでは済まない、家族が不幸になると私は思う。

 その為に普段は徹底的に倹約している。いざというとき何に使うかその人にとって何が重要かの価値判断により変わる。家庭環境とかその後の経験ではぐくまれた価値観によると思う。会社勤め時代にもあらゆる無駄取りを徹底されたし、冠婚葬祭が過剰にならないよう躾けられた。お金の使い方である程度どういう人か分かる。前回、欧米の著名な政治家や投資家の子供のしつけを紹介した。人によってはみみっちいと思うかもしれないものが沢山あった。

 それなら私はお金をどう使っているか。団塊世代の消費が内需を刺激してデフレ脱却に貢献する期待がある。私はその期待には応えてないようだ。1ヶ月のお小遣いは2万円だが、数千円も使わない。100円ショップで買い物をし、趣味の読書は図書館で借りるか古本屋で購入、音楽や映画はテレビやネットで見る、衣類は子供のお下がり(我が家ではオアガリという)で済ませる。

 多分、1年前と比べても私の「ケチ道」は更に磨きがかかったと思う。美味しい物を食べなくても、良い服を着なくても、良い家に住まなくても、全く平気だ。趣味のバドミントンは20年以上前に買ったラケットを使い続け、靴は初心者が履くような物と仲間に揶揄される。しかし言葉に嫌味は感じないし、まあ愛されていると思う。仲間が嫌がるようでは困るが、そうでなければ私は満足だ。

 私はそういう風に育ててくれた親や会社に感謝したい。上述のように倹約して溜めたお金は使わない訳ではない。どうしてもやりたいことを除けば殆ど家族の為に使っている。定期的に集まって外食し、国内外へ旅行に行く。実際のところ施設に入っている母と実家の家計を併せると高所得層と同じ程度の家計になってしまう。こういうときに限って自宅の外装工事が必要になった。まさにやりくりで「必要に迫られたケチ」でもある。

 トータルすると月々自分のお小遣いを溜めるくらいでは足りないが、年金や預金を取り崩して賄っている。こんな時昨年末からのアベノミクス効果による予定外の恩恵は正直助かった。お金の出入りを詳細に辿って行けば、どういう人間か外見だけでは見えないその人の側面が分かる。それを意図して見せる必要ないが、子供達に引き継いで欲しい遺伝子と私は思う。筋金入りのケチ、実はメリハリの利いた「計画的なケチ」になって欲しい。出来れば「愛されるケチ」に。■

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