かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

トランプ体制の仕切り役交替

2017-08-04 18:26:18 | ニュース
いつもの根拠の曖昧な大胆推測の中でも、今回は殆ど直感ともいえる想像だけの「先走り仮説」を紹介したい。でも、興味ある人には面白いはずで、結構ポイントをついているかもしれない。

仮説の根拠は単純だ。一昨日付のワシントンポスト(WP)に掲載されたトランプ大統領の写真がやけに精彩が無く老けたと感じた。どの大統領も就任8年後に老いを感じるのは当然だが、たった6ヵ月でこれかという印象があった。現状かなり焦っているか疲れているのだろう。「国境の壁」や「オバマケア排除」などの公約が実行されず、支持率が史上最低レベルに低下しイライラが募っているという印象だった。

私の「先走り仮説」とは一口で言うとホワイトハウス内の仕切り役が変わったことだ。今まで「実質」の仕切り役はプリーバス首席補佐官ではなくクシュナー最高顧問だったが、新しい仕切り役は新しく就任したケリー首席補佐官になった、つまり普通になったと私は考える。今回総ての大統領スタッフはケリー氏に報告することになったことで、家族が大統領との間に入って差配する曖昧な状況が無くなったと考える。

4月に突如米軍がシリア爆撃を敢行し世界を驚かせたた時、報道を見て私は黒幕は娘婿のクシュナー氏だと投稿した。米中首脳会談の最中の爆撃は中国を受け身に立たせた。かなり効果があったと思われる。私はこの時期がトランプ政権半年間のピークだったと思う。その後、支持率低迷の下トランプ政権内の忠誠心争いとスタッフの去就の中、クシュナー氏を始めとする家族以外のスタッフは誰も安全ではないと書いた。予想した通り次々とスタッフは首にされた。

だが、その後もトランプ政権の混乱は収まらず支持率は低迷した。原因はクシュナー氏は一貫した戦略よりその時の状況に応じて大統領の支持を高めれば良いというもので、その後のFBI長官や首席補佐官・報道部長・報道官等を次々にクビにしたのも彼の助言によると言われている。トランプ氏はたまらずケリー氏を担ぎ出し、ケリー氏は「実質」の仕切り役になる条件で受けたというのが私の仮説だ。だが、クシュナー氏は家族として影響力を保つ可能性がある。果して新仕切り役が機能するかどうか暫く様子を見よう。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

考古学のたたり(エピソード)

2017-08-03 11:01:28 | 日記
自宅のある府中市から昨年度の発掘調査の成果を展示する「最新出土資料展」の案内が来て、家内が見学した結果を連絡して来た。昨年の初夏頃に自宅跡に古い土器片が出て来たため、教育委員会の指示で自宅新築を一時停止して発掘した結果を1年後市の歴史館で展示するというものだ。

伝えられた説明員の話では我が家は奈良平安時代の竪穴建物2棟の上にあった。発掘された土器や須恵器より古代人が住んだ竪穴建物の上に、私たち家族が家を建て住んでいたと分かったことの方が驚きだった。そんな事って学校の教科書かなんかに出てくる遠い話だと思っていた。

我が家は今も存在する古いお寺の北側に当たり、この辺に住居が集まって町が形成された。その跡だという写真は尤もらしく見えた。私の住む土地がそんな昔からの古い町だったとは今まで知らなかった。府中市が古い町で鎌倉街道が走り、近くに歴史的な合戦跡があるのは知っていた。言われてみれば成程と思った。

同じ時期に近くで2軒新築工事があったのに発掘があったのは我が家だけだった理由も薄っすら分かった。自宅を建直しを依頼した建築会社が念入りに基礎工事をしたため土器が出て来たのだろうという。土器が出て来た時は建築期間が伸びて「考古学のたたり」と嘆いたが、実は真面目に基礎工事したお蔭だったようだ。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の一周忌(続)

2017-08-01 13:55:58 | 日記
一周忌の行事はまだまだ続く。一昨日は和尚に来て頂き「灯始め」(灯籠を吊るす)の法要を実施した。長男家族が東京から来てくれたので和尚に紹介でき、私一人だけの寂しい儀式にならなくて済んだ。普段できないこの地とわが家の歴史を聞くことが出来た。この後今月7日の施餓鬼と月末の灯上げ(灯籠を焼く)があるが、これは私だけの行事になる。もう東京から家族は呼べない。

東京も暑いがこちらは暑い上に湿度が高い。2日目の朝からクーラーの効いた部屋でひっくり返っていた嫁さんがげっそりした顔で起きて来た時は熱中症かと心配した。彼女は子供が騒いで寝不足だったのが原因だったといい、その後幾分か元気になったを見て安心した。車に乗っても冷房を目一杯にきかそうとする。そうしないと頭が働かないみたい。

こちらに来る時も息子が空港で乗り遅れそうになり、空港で荷物を宅急便で送る羽目になった。息子だけ後の便に乗せられそうになり彼女が強く迫ってようやく同じ便に乗れたという。ところが宛先に自分の家の住所を書いて我が家には届かないと翌日判明。何というドジ!やむを得ず水着や浮き輪からビーチサンダルまでこちらで買ったようだ。多分これから家族が集まった時に酒の肴にされ笑いを誘う羽目になるだろう。

昨日長男家族は松山城や石手寺などを観光して東京に戻って行った。延べ5日の滞在もあっという間だった。中々いうことを聞いてくれない孫達には手こずったが、いざ静かになった広いうちで一人取り残されるといかにも寂しい。これからまた独居老人の孤独な生活が再開する。私が病気や認知症などになった時の対応を長男と話合おうと思っていたがバタバタしてるうちに何も話せず息子の休暇が終わった。

息子家族を松山市駅に送り実家に戻る途中の山道が雨で濡れていた。峠を越えた頃から雨足が強まったが、山を下りて平坦な道に戻ると途端に降り止んだ。というか山間部だけ雨が降っていたようだ。その後買物をし雑用を済ませて実家に戻ると涼しい風が谷間から吹き抜けて来た。四国カルスト高原に行った時吹いてきた涼風と変わらない涼やかな風だ。

隣町と隣接する山間部の豪雨による土砂崩れの警報を伝えるラジオニュースが流れ驚いた。そんな気配はなかった。近くの地区長が我々が行った翌日偶然にも「カルストに行ってきた、26度の涼しさだった、雨は降ってなかったよ」と聞き、今日はここも涼しいけどねと皮肉っぽく返事した。今朝の風は涼しくて凌ぎ易かったが昼飯の頃までにドンドン気温が上がり元の木阿弥。一周忌は夏の暑さを組合せて思い出すだろう。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする