かぶれの世界(新)

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体内変化!?

2020-09-15 15:43:31 | 健康・病気
アメリカかぶれが、ハゼにかぶれた。

「何十年もお墓掃除をして何ともなかったのに、腕がかぶれて長年使ってきた膏薬を塗っても全然治らない。」と訴えると、先生は「年を取ると体内が変化(化学?)してそういうことが起こります。」と説明を始めた。65歳を越えると体内変化が起こり、従来何ともなかったのに皮膚がただれたりするという。先生は自分も65を越えそういう経験をしている口ぶりだった。

遡ると10日前に酷暑で延期してきた墓掃除をした直後に、両方の腕のあちこちにかき傷のような赤い腫物が出来た。風呂に入った時焼けるような熱を感じハゼか漆にかぶれたと気付いた。今迄の経験では虫刺されなどで似た症状が出た時は、母が長年使っていた軟膏(オロナイン?)を塗れば何とかなった。容器に母の手書きで「ヤケド」と書いてあったが、私にはオールマイティだった。

ところが、翌朝も症状は変わらなかった。3日目に入り更に症状は悪化した。就寝中に無意識に痒い部分をかいたのだと思う。それではと、今度は昨年別に処方された塗薬(ラミテクトクリーム1%沢井製薬)を塗ったがそれでも症状は変わらなかった。転移した患部があちこち点在していた。

5日目に諦めてドラッグストアに行き薬剤師に相談して勧められプレバリンα軟膏(ゼリア薬品)を購入した。いい加減に手元にある薬を使っていた私が、初めて真面目に薬の説明を聞いた。抗炎症効果のあるステロイド系で毎日4回使用、5日経過して効果がなければ医者に行けと言われた。

果たして効果は全くなかった。塗布後も患部に熱を感じ痒くて堪らなくなり、薬を塗った幹部から汗のように水分が滲んできた。薬を塗り始めて2日目も変わらず、3日目に薬を塗った患部の一部にバンドエイドを貼り付けた。そうすると嘘のように痒みが減り2日続けてよく眠れた。

週が明けてかつて医療にかかわった友人に相談すると、「さっさと医者に行った方がいい、市販の薬を買うより安いはず。」とケチな私を見透かしたような助言をしてくれた。助言を受けてすぐに最寄りの皮膚科の先生に診察を受け、冒頭のコメントを貰った訳だ。

私が症状を説明すると先生が面白おかしく解説し、それに私が輪をかけてオーバーに反応する。そのやり取りは漫談のようで、会話を楽しんだ。皮膚病で死ぬこともない、気楽に会話を交わしたということ。だが、年齢とともに体内変化がおこり若い時には出ない症状が出るらしい。

かぶれの原因になった「液」が薄く付いた部分が、数日遅れて発症するという。転移した訳ではなかった。特に男性の場合は小便後に手を洗っても性器は洗わないから、かぶれて大きく腫れることがあると絵で示した。これを聞いて「先生、脅かさないでよ。」と大声で笑った。看護婦さんは無表情。

診察が終わり聞いたこともない名前の大きな静脈注射を打って貰った。見かけは大きくビビったが普通の注射だった。これが体内変化の改善だったのか。支払いを待つまで待合室を忙しく消毒して回る見習いっぽい若い看護婦がいた。聞くと2時間に一度アルコール消毒するらしい。その後はどうでもいい世間話で時間潰し。この病院の人たちは皆、愛想がいい。院長の人柄のせいか。

ビルの1階下に薬局があった。処方されたのはアンテベートクリーム(朝と風呂上りに塗布、ステロイド系)とビラノア錠(就寝前服用、多分かゆみ止め)だった。財布の中身を確認せず慌てて来たが、一般用の薬で合わせて650円と聞いて安心した。

薬の効果はあったと感じる。今朝起きた時の患部の痒みが少しだけ良くなった。ドラッグストアの薬剤師が言ったように病院の処方する薬は強力だったということ、多分医者の処置が正しかったと思う。室温が21度に急に低下したせいかもしれないが。だが、当然だけど腰痛はそのままだ。■
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国勢調査が突きつける現実

2020-09-14 22:14:39 | 日記・エッセイ・コラム
医者に行った帰りに寄り道し、先月寺巡りした山沿いの道を通って帰った。歩き始めてすぐに知人に出会った。軽トラに乗って国税調査に関するチラシを戸別配布しているという。私より一つ二つ若いが腰の具合が悪くて車に寄り掛かるようにして立っていた。年をとっても何かの役に立とうという気持ちなのだろう。

彼がシャッター街から山間部の農家まで戸別訪問すると、悲惨な状況を直接知ることになるらしい。出会った地域は寺巡りの最初の寺(法眼寺)の近くの集落だったが、家主が住んでいない立派な造りの家が3軒もあるという。老人ホームに入居したり子供の家に引き取られた為だという。

彼によると他にも山間部に行くと放棄された家や畑がある。数年内に間違いなくその数が増えるだろう、そんな候補家があるという。国勢調査のお手伝いをやるとその悲惨な実態に直面すると、つらそうな口ぶりだった。そういう彼自身も同じだと言ったが、子供が近くに住んでいるらしい。

実家に独り住まいしている私の方がむしろ厳しいだろう、どうするのかと彼は問いかけてきた。確かに私の方が状況は厳しい、家族は全員東京住まいで帰ってくることはないと答えた。帰ると言っても現実は東京生まれだ。私は子供に判断を任せる積りだ、重荷にならないようにしてやる積りだ。

この話になると絶対に結論が出ない、お互い「なるようになるしかない」と言って別れた。■
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一線を越えたポンコツジーサン

2020-09-13 22:49:23 | 日記・エッセイ・コラム
腰痛でバドミントン練習に参加できず持て余し、その後もガンガン歩き腰痛がちっとも良くならない状況と投稿した。その後も懲りず腰痛にもめげずあちこち歩き回り、今日ついに一線を越えてしまった。最寄りのスーパーまで車で行き駐車場に停め、そこから山裾を歩いた。

実家から徒歩では行けない所まで行ける。一線を越えたというのは、車で登山口まで行くのは容易なので、行動範囲が一挙に広がり歯止めが掛からなくなるからだ。故郷の寺巡りをするのとは違う。本格的な登山の為に必要な道具立てはないので、当面は山裾を歩く範囲ではあるが。

今日は2時過ぎに出かけ農協系のスーパーの駐車場に車を停め歩き始めた。散歩とは違い腰にウェストポーチ、中に水筒と缶コーヒーにチョコレートやキャンディを持参した。ショートパンツに長袖の作業着、靴はワークマンで買ったスニーカー。これで半日は十分歩ける。

ターゲットはここ大洲盆地のシンボル冨士山(とみすやま)で、標高300m余り。寅さん映画の舞台にもなった。車で何度か行ったことがあり、あちこちから山道があるはずだと想像していた。それが間違いだった。スーパーから南側に歩き山裾を西に歩き何度も道を聞いたが要領を得なかった。

年配の方じゃないと若い人達は山道があったことも知らなかった。今は車でしか行かない山になったみたいだ。かつての山道は、今は歩いて登る人もなく手入れもしなくなり、もはや私の恰好では登るのは無理だろうと言われた。

そうやって行ったり来たりして登山口を見つけたところで疲れ切って帰宅することにした。スマホを見ると12km弱歩いていた。だが、失望感より次の期待の方が大きかった。帰りにスーパーで美味しそうな厚切りのパンを買った。

長い山裾道の沿道には、介護施設や知恵遅れの人の為の施設などとか、強敵だった野球部のある中学校の移転先だとか、新しい発見が沢山あり登れなかった後悔はない。次の機会に登山口に直行して歩いて登ってみたいと思う。今のところ疲れは少し感じるが、足も腰も大丈夫だと思う。■
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俺の知っているアメリカはどこへ行った

2020-09-12 20:21:41 | ニュース
安倍首相の後継は菅官房長官で決まりと報じられているが、バイデン元副大統領が優勢と伝えられていた米国大統領選はここに来てトランプ大統領が盛り返しているという。識者が心配しているのが、両候補のどちらになっても負けを認めず混乱が起こる事態だ。米国は三流国になったのだろうか。

米国大統領選の選挙日が11月、残り1カ月余りになってきた。伝えられるニュースは聞くに堪えない。再選を狙うトランプ大統領の発言や醜聞はとても現職大統領とは思えない酷いものだ。なのに依然としてまだ無視できない堅い支持率を保っているのか不思議でならない。

主要な支持母体のキリスト教福音派は揺るない岩盤支持だと言われている。キリスト教徒があんな嘘にまみれた下品で醜悪な発言をする男を何故支持するんだろうと思う。敬虔で信心深いキリスト教徒がそんなことでいいのか、キリスト教全体の信頼を失うと思わないのだろうか。

子供の頃から自由民主主義の世界のリーダーとして米国に憧れの気持ちを持ってきた私には信じられないことだ。政治の世界がそんな理想だけで語れないのは良く分かっている。それが建前で実行が伴わなくとも、米国のリーダーは自由民主主義のあるべき理想論を語らなければならない。

子供じみたこと言うんじゃない、もう人生残り数年のジーサンがそんな世間知らずとは、人は言うだろう。私が米国政治に興味を持ち始めたケネディ大統領時代からクリントン、ブッシュなど歴代大統領下で理想とはかけ離れた事件が何度も起こったが、こんな恥知らずな大統領は記憶にない。

何故、米国民はトランプみたいな酷い男を大統領に選んだのか。人は誰でも間違いはある、だけどトランプがダメな事は分かっているはずだ。一度は間違えても米国民はトランプを再選することはないと思っていた。今頃になって、ダメなのはトラン個人じゃなくて米国民かもと思い始めた。

薄々感じていたが、ここに来てかなり真剣にそんな風に感じるようになった。長らく米国企業と付き合い、90年代半ばから米国に住んだ時に感じた米国とはもう違う。「俺の知っているアメリカじゃない、一体どこへ行ったんだ?」という思いだ。

私の知ってるアメリカは90年代までの両海岸に住む人たちで、今も彼らの多くはトランプが嫌いだ。だが、南部や中西部など内陸部の人達との付き合いは殆どなかった。トランプの岩盤支持者から宗教的背景を除くと90年代に始まったグローバリゼーションから取り残された中流階級や労働者だ。

グローバリゼーションは安価な労働力を求めアジアに向かいサプライチェーンの変化から始まった。変化の速度を圧倒的に加速したのはITだった。大きな社会のうねりは米国一国の変化ではなかった。IT企業が一人勝ちし、富は上流階級と中国に集中し、中流階級は細っていった。

この視点から見るとトランプのやり方は酷いが、政策自体は必ずしも滅茶苦茶ではないと言うことだ。グローバリゼーションから取り残された人達にとって、唯一面倒を見てくれる大統領がトランプだった。トランプは大嫌いだが、ことはそれほど簡単ではなさそうだ。■
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子供の頃からスケベだった

2020-09-11 16:34:55 | 日記・エッセイ・コラム
私は半ばやけくそ気味にポンコツジーサンとか、スケベジーサンとかいう。正直言うと、自覚はないがどうも子供の時からスケベだったようだ。母が遺した書物を整理していると「きりんの本(理論社)」が出てきた。母が手に入れて保存していたようだ。ちょっと恥ずかしい内容だった。

それは全国の小学生の作文を集めたいわば文集を出版したものだ。熱心な担任の後藤先生が3,4年生の作文を選んで応募し掲載したもので、私の作文が3つあった。一つだけ記憶があった。母と一緒に風呂に入ってお互いに性器にいたずらして遊ぶ内容だった。よくこんなのが選ばれた。

多分10歳前後の頃からだったと思うが、私は女性の性器に興味を持つようになったと思う。祖母と同じ布団に寝た時、腰巻(ゆもじ)が乱れて見えた性器の記憶が忘れられない。一方で、その頃は無邪気に母とお風呂に入り濃い陰毛(そんな印象が残っている)を見ても何ともなかった。

多分、その頃が母の裸を見たのが最後で、6年生頃から体が大きくなり陰毛が生え「男・女」を意識し始めたと思う。友達の家で安っぽいエロ本を見て興奮し、家に戻って性器をいじっているうちに自慰を始めた。作文は性に目覚めるちょっと前の頃書いたものだと思う。

それから私はずっとスケベだった。見かけはずっと真面目な学生であり会社員で通してきた。だが、心は一貫してスケベだったと母が遺してくれた文集を読んで思った。母はそんなことを思って遺してくれた訳ではない。天国で後藤先生もそんな為に生徒の作文を選んでないよと言うだろう。■
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