かぶれの世界(新)

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

私的・五輪総評ー1か月後

2021-09-09 21:49:30 | スポーツ
早いもので東京五輪が終わってから1カ月経った。五輪が始まる前に連日のように開催反対を報じたテレビ報道が、手のひら返しでメダル獲得した選手を出演させている。しかも、散々反対した五輪の選手をお笑い番組にまで選手を出演させている。

私から見ると視聴率稼ぎの恥知らずだと思う。だが、普段はテレビに登場することのない種目の選手にとっては、国民にその種目をアピールできる滅多にない機会だ。その意味では、テレビ局が恥知らずであることが、普段テレビが報じない種目の関係者や選手に最高の機会を与えた。

それでは国民にとってはどうだったろうか。五輪が始まって中頃から反対する声が余り聞かれなくなったという。単純に日本代表選手の活躍を楽しんだことに加え、五輪がもたらす価値観と継続することの大事さを世界レベルでを実感した為だと思いたい。

結論から言うと、五輪をやって良かった。マスメディアは五輪に反対した人達の言い訳を是非報じて欲しい。政治の結果責任を追及する執念深さがあれば、何ら難しいことではないと思うが。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何故、日本のコロナ医療が逼迫するのか(重要)

2021-09-07 17:18:20 | ニュース
ここに来てコロナ感染者数が劇的に減って来た。だが、トップニュースは重症患者の医療逼迫や自宅療養の急増に変わり、感染者減の良いニュースは残った時間で控えめに片付けられている。感染減少は国民が頑張った結果であり、トップで報じて引き続き頑張れと勇気づけて欲しいと思う。

東京五輪はコロナ感染を悪化させると大反対したマスコミや医療関係者は、五輪の影響が2週間後に出て来ると言い張ったのに出なかった。明らかに見誤ったのに反省もなく原因を追究もない。更にお盆期間中は地方に出向く人が多いので東京は感染が減少した、お盆から戻ってくると再び増加すると言い訳した。が、結果は全く異なった。この原因分析と説明も今後の適切な対応に是非必要だ。

どうも脅かすだけ脅かして、外れるとだんまりを決め込む医療関係者やマスコミの対応が、かえって根底にある問題を見逃して解決を遅らせている印象がある。その最も典型的かつ重要なコロナ対応の問題が、コロナ対応の病床が6割程度の使用なのに逼迫していると大騒ぎする事態だ。

何時まで経っても欧米に比べ医療資源を有効に活用できない。私が目にした限られた報道の範囲では、日本経済新聞しか状態を把握してキチンと問題指摘してないようだ。他紙は報道スタイルの違いに加えて調査報道力に欠け、テレビ報道にはそもそもその種の能力がないと感じる。

そんな中で今日の日経朝刊は初めて問題の全体像を総合的に捉え、「コロナ病床を把握する国のシステムが機能不全」と記事は報じた。依然として現場はアナログの電話対応に追われ、厚生省のシステムが提供する全国の病院・診療所の「前日」の状況しか分からない。ホント馬鹿げてる。

現在前日の感染者数が報じられると同じで、リアルタイムで発生する緊急の入院調整などの役に立っていない。記事によると、『東京の医療機関は都が運営する別のシステムでの空床報告や保健所への連絡も求められている。担当者は「一日の半分以上は入力作業に関する業務に追われている」』というバカげた状況だ。わざわざ、病床が逼迫するようなシステムを作ったといっても可笑しくない。

医療現場は頑張っているというのは、システムを含めたトータルの医療システムは非効率で、税金を使って機能しない仕掛けを作り、結果的に国民に酷い迷惑をかけている。私から見ると患者を診ている先生だけを言い訳に取り上げ、それでもって頑張っているというのは恥さらしの嘘だ。 

医療関係者は医療システムまで含めて機能しなければしっかり仕事をしてることにならない。現場の先生が仕事をしてることだけ取り上げて逼迫と言い訳する、厚生省も分科会も何もわかってないマスコミも困ったものだ。実は、それでも欧米などの世界の主要国の数字と比べると悪くはない。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我、消滅す

2021-09-06 21:53:49 | 日記・エッセイ・コラム
私は最近迄「エゴサーチ」の意味を知らなかった。知らなかったが、グーグル検索が世の中に出て来た2000年頃からずっとエゴサーチをやって来た。その頃は論文や特許、自分のやってる仕事などがネットで取り上げられているのを単純に見たかった。

2003年に早期退職して仕事をやめて以来、時折エゴサーチをやって徐々に私の名前が出てこなくなったのは知ってた。先日エゴサーチとは自分を検索することと知り、久し振りに今日の午後エゴサーチをやってみた。私の名前では何も出てこなかった。ネットの世界で私は消滅してた。

ある程度予想はしてたがちょっと寂しかった。同時に私の実家のある集落は子供が全くいない所謂「限界集落」で、あと10年もするとどうなるか分からないことを思い出した。消滅する可能性が高い。最近、長老とその奥さんの姿を見かけなくなった。悪い予感がする。

長老の次の年寄りは齢の離れたよそ者の私になる。ネットの世界での消滅は、現実の世界での前触れかも知れない。そう簡単には行くもんかという気持ちが湧いてきた。今日見たあるウェブマガジンの気になる記事に実名でコメントした。少しでも足跡を残したいという気持ちだ。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅首相の1年

2021-09-04 15:23:28 | 国際・政治
昨日の昼に菅首相退陣のニュース速報が流れた時は日本全国を驚かせた、多分世界の多くの国も驚かせたと思う。理由はコロナ対策に専念する為、総裁選に出馬しないというものだった。報道によれば直接の理由は8月のコロナ感染急増と横浜市長選敗退で党内の支援を失った為だという。

私自身はこのニュースを聞いて、菅首相が長く官房長官を勤めた実体験から生まれた政策、特にディジタル庁とか縦割り行政の打破、規制改革等が危うくなったと感じた。近年の日本は経済を含め官民の生産効率が停滞し存在感が低下していた。この停滞を食い止める絶好の機会が失われるかもと。

首相就任当時に、安倍首相に仕えた菅氏は優れた補佐官だったが、彼ほどの補佐官がいない時にトップとしてやって行けるか微妙だと思った。コロナ対策は織り込み済だったはずだが、夏場のデルタ株のまん延は想定外で官邸の総合力が試され発信力も含めて力不足だった。

菅首相が国民の支持を失ったのは、リーダーとしての発信力に難があった、国民との対話が上手く行かなかったからという見方がある。優秀なトップだったが官邸全体として機能してなかったという声だ。重要なのは「基本政策と結果」だが、些細な言葉尻を捉えて非難される場面が多かった。

発信力はリーダーとしての重要な資質だが、国の重要な政策より答弁の巧拙とか言葉尻を捉えた報道を見ると違和感があった。私はデータを見ればコロナ対策は主要国に比べ機能してたと思う。だが、報道も国民もその程度の判断しか出来ない、それが日本の現実の姿だと思い知らされた。

「政治は民意」の表れという。首相退陣は日本国民の判断ともいえる。朝テレビが伝えた街の声によると世論調査の通りだった。若者は菅首相の退陣を惜しみ、老人はコロナ対応は不適切で退陣は当然という声。私に言わせれば、老人は目先しか考えてない、残り何年かの人生だ。今回の「天の声」は正しかったかどうかは、次のリーダーのパフォーマンスによる。神のみぞ知る。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲しき老人の焦り

2021-09-03 15:43:29 | 日記・エッセイ・コラム
先月末に本格的な山歩きをした直後の腰痛が少し良くなった昨日、軽く10kmのジョギングをした。どこか痛めると完治する前に運動を再開する。悪い癖と分かっていてもやってしまう。自分の年齢に合った散歩じゃ満足できない、ジョギングとか山裾歩きとかハードな運動をしたくなる。実際すれ違うジョガーは若い人達、田舎の山歩きでは誰とも一切出会わない。

身体的な衰えを恐れて無意識に運動をするのだと自覚している。例えば、歩くスピードが遅くなるとフレイル(介護の前の心身の衰えの状態)の兆候と聞けば、散歩時に歩数と距離を計測して歩幅を計算する。実際、歩幅が数年前の85センチから80センチ弱に減っていた。そうなるともう我慢できない、速攻で歩幅を広げて散歩時に大股で歩くようにする。

しかも、それなりに効果が出てくるものだから無理して更に運動をやって、又身体の何処かが悲鳴を上げる。かつては平気だったことでも、今では体がついていかない、だがその現実を受け止められない。痛風とか腰痛から体調が戻る気配を感じると「昔のように」運動をしたくなる。

バドミントンのように相手がいるスポーツでは現実を突き付けられた。今年の春に己を知って府中市のクラブを退会した。だが何もかもやめるわけには行かない。散歩だけでは寂しい。チョロくても挑戦が必要だ。一人でやるジョギングは昔の記録と比較して、もっと頑張ろうと思ってしまう。

年齢による衰えは人夫々だが、どうしても最先端で頑張っている人達を見てしまう。何か不具合があると自分を甘やかし運動を止めて一気に老け込んでしまう周りのお年寄りを見て来た。母も一旦歩けなくなると病気・入院・リハビリ・介護施設と一気に進んだ。介護以外は期間が限定されている。

多分、私も運が良ければ(?)その道を歩むことになると思う。ならば、出来るだけ周りに迷惑をかけずに人生を楽しみながら自力で最後まで進んで行きたい、可能なら最後までボケないで終わりたいと思う。しかし、やり過ぎて後遺症が残るような怪我をするのは本末転倒だと分かっている。

私にとっては同じ発想で、女の子に声をかけて家族に嫌がれ、運動のやり過ぎだと友人に言われても譲れないところだ。これからも家族に迷惑をかけないよう健康に気を付けて、気が済むまで出来るだけハードに運動したいと思う。多分、悲しい老人の性(さが)だ。■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする