かぶれの世界(新)

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元に戻らない体(2)

2022-05-06 21:34:55 | 健康・病気
今日の午前中に帰京後4回目のバドミントンの練習に参加した。想定した通りでみっともない位ミスばかりしたが、練習後の足腰の筋肉痛は殆どなかった。ゲームに勝てなくても筋肉痛が改善するだけで楽しめた。実は、金曜日に参加するメンバーは少なくそれ程上手くもないのだが。

だが、データ魔の私は「元に戻った体」をスプレッドシート上に見つけた。先ずは血圧。4月の中頃から血圧が135-145になる日が多かったが、19日に帰郷後1週間から130前後に下がった。この数日は120台になっている。バドミントンとジョギングなどのハードな運動を再開した効果が出たと思う。

血圧が下がり始めたのと連動して体重が減った。帰郷前は69キロ台、帰郷直後は68キロ台、この数日は67キロ台になった。帰郷後にバドミントン練習を4回参加、ジョギング10-15キロを2回、エアロバイク300キロカロリー1回の運動をやった効果が徐々に出て来たと思う。

東京にいる時バドミントン練習をした翌日に血圧が下がったと掛かり付け医に報告すると、運動すると副交感神経が活性化され、血管が広がり心拍がゆっくりし内臓が活発になると聞いたことがある。(そのくせ、先生は運動しろと言わないで降圧剤を処方してくれたのだが。)

少し気になるのが体温だ。帰郷前は6.4-6.7度だったが、帰郷後は6.0-6.2度に下がった。医療関係にいたことのある友人は5度台が続くと低体温と見做して健康に良くないという。ネット情報によると、免疫力が下がり、ガンにかかり易くなる、血流が悪くなり、太り易く老け易くなるという。

低体温の原因として甘いモノの食べ過ぎ、シャワーのみの入浴などと、全て心当たりがある指摘ばかりで我慢するのが辛い。東京にいる時もいつも甘いものばかり食べていた気がする。■
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元に戻らない体

2022-05-04 21:08:50 | スポーツ
先週から地元のバドミントンクラブの週2回の練習に参加、今日は3回目の練習だった。初回練習後の筋肉痛は半端なく痛かった。2回目の後も筋肉痛は酷かったが初回ほどではなかった。3回目の今日の練習直後の痛みは随分と軽くなり、夕方の散歩は少し長めの6キロ歩いた。

だが、実は失望している。というのは、肝心のバドミントンの動きが改善せず、ゲーム練習でパートナーに迷惑ばかりかけ負け続けた。負けず嫌いの私にとって練習とはいえゲームに勝てないと楽しくなかった。後期高齢者直前だとか、昨年秋から練習してないとか、言い訳ばかりした。

昨秋からずっと散歩や山裾歩きを続け、たまに10キロ余りのジョギングもしてた。だが、逆に言うと瞬間的な動きをする筋肉は殆ど使ってなかった。目でシャトルを認識して連動して身体が素早く反応する、この連係動作いわゆる運動神経がかつてなく劣化している。

90年代半ばに米国に赴任した時、最初の赴任地がシアトル郊外だった。その時は現地の社員がバドミントンクラブがある教えてくれ、日本から持参したラケットを持って行き参加させて貰った。そのうち州のバドミントン協会長を始め現地の選手と知り合いになり幾つか大会にも出た。だが、その後カリフォルニア州に移動後の1年と、帰国後の2‐3年間は何もしなかった。

数年後に友達に誘われバドミントンクラブで練習を再開し、地元の大会に出た時は昔のようには戦えなかった。市民大会に出て負けてスタンドから友人の試合を見ていた。すると、私の試合を久し振りに見た別のクラブの友人が、「私の力が落ちている」と後方であからさまに言うのが聞こえた。

力が落ちたのは私自身が認識していたのでショックではなかったが、私が前にいるとは気付かかず「弱くなった」と話しているのは悔しかった。その時は多分50代前半だったと思う。それを聞いて練習を頑張ろうという気持ちになった。

だが、それから20年後の今回は言われなくとも自覚している。もうどう頑張っても元に戻ることはないと。だとしても、どうなるか分からないが頑張ってみようと思う。■
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田舎暮らし雑感2022(4)

2022-05-02 20:51:03 | 日記・エッセイ・コラム
裏庭の掃除をしていると灰色と茶色混じりの小動物が突然出てきて、ぴょんぴょん飛び跳ねながら表庭の方に駆け抜けていった。飛び跳ねる姿はウサギかと思ったが、それにしては小さかった。裏庭の掃除を終え東側にあるお墓に続く階段の掃除を始め、ふと南側に目を向けると排水溝にウサギの姿があった。生まれて初めて見る野ウサギだった。スマホを取り出し写真を撮ろうとしたが直に逃げた。

今日は何故か野生動物情報に満ち溢れた日だった。散歩に出かけると茶色い羽根のやや大きい鳥(トンビだと思う)を、二羽のカラスが追いかけていた。珍しい風景だ。大きい鳥は細い紐のようなもの(多分ミミズ)をくわえて不器用に飛んでいた。「あれ、おかしいな、トンビの方が大きいし強いのでは」と思った。カラスは短時間で諦めたかのように散って行った。

その散歩の帰りに物知り農業家S氏に野ウサギについて聞いてみた。彼は即答で最近よくウサギを見かけるようになった、その理由はキツネがいなくなったせいだろう、もしかしたら絶滅したかもしれないという。しかし、ウサギは農作物に害がないので悪い話ではないという。

猪が各地で問題になっていると話を向けた。彼自身も山間部ではなく普通の道で猪に出会い、向かってくるので必死に逃げ堤防に駆け上がって難を逃れたことがあるという。だが、滅多に出ないけど出ると農作物の被害が大きいのは猿だという。私は噂でしか聞いたことがない。

私が山歩きすると地域によって対応が異なる、住居も含め柵で囲ったり、山間部は電気柵の場合もある。我々の集落ではそういう仕掛けを一切見かけないというと、彼はこの地域は土砂崩れ対策などの地盤強化策で結果的に柵の効果があるのではという。なる程と思った。

この十年間で色々な予期もしなかった野生動物を私自身も見た。キジ、カワウソ、ウリボウ、タヌキ、・・・ どんな被害があるのか知らないが。ところで、三ババの一人に後から聞くと昔から山間部で野ウサギを見たという。彼女の場合の昔とは、50年前か、80年前か、分からない。

話を戻すと、彼はそれより今農家の問題はウクライナ戦争のあおりを受けて肥料の値上がりだという。スーパーで玉ねぎの値段が3‐4割上がっているという。輸入される農産物の値上がりも消費者には問題だが、農家にとっては自分が作る農産物のコストアップが厳しいのだという。

分かれる時に酒のツマミにと言って、その場で枝豆を摘み取ってくれた。■
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忙しい3日間

2022-05-01 21:25:33 | 日記・エッセイ・コラム
一昨日午前中バドミントン練習に参加し、昼食後書斎に戻りテレビを見ながらリラックスしていると携帯に電話が入った。松山空港で待ちぼうけになっている家内からだった。その瞬間頭が真っ暗になった。彼女を車で迎えに行く約束だったが、てっきり昨日だと勘違いしてた。

大急ぎで着替えて車に飛び乗り、普段は使わない高速道路を走った。最近は近場の買い物で車に乗る程度で、高速道路をぶっ飛ばすのは正直怖かった。途中彼女から電話がかかって来たが、ルールよりも怖さで一言も返事できなかった。伊予市の出口から出てホテルの駐車場から返事した。

彼女はJR松山駅までバスで移動して待つという。最近は車で松山駅に行ったことがなく、今回帰郷後に車のナビが機能せず、道が分からないまま電話を切った。行くしかない。国道56号線を松山市街に向かって走り、信号待ち時に隣の小型車の老運転手に手を振り窓越しから道を問うた。

彼は気持ちよく了解してくれた。後について来いと言われ、後伊予鉄の踏切まで行った所で手前から左折し、信号待ちで並んだ時にその先を右折して行けば松山駅と言われて分かれた。こんなドタバタを良く受け入れてくれ、本当に助かった。こんなものの頼み方は珍しいだろうが・・・

駅前で待っている家内を直ぐに見つけて家内の実家に向かった。最後に慣れない山道の運転は怖かった。山道は昼間でも簡単ではない、薄暮の中おそるおそる運転した。4時過ぎに空港に着き5時過ぎに到着予定だったが、家内の実家に着いたのは7時過ぎで皆お酒を飲んでご機嫌だった。

久し振りの義兄夫婦や義妹夫婦と馬鹿な冗談を交わしたが、外が完全に暗くなる前に家内を置いて失礼することにした。暗い道を運転するのは国道に出た後も怖かった。実家に戻った頃は外灯のみで人気なし、シャワーを浴びて軽く豚汁を頂いた。朝のバドミントン練習から長い1日が終わった。

翌日は家内からの電話で長浜に住む義姉夫婦の家に向かい夫君を見舞った。88歳になる彼は足を痛め殆ど1日中居間の炬燵で過ごすという。だが、座卓には読みかけの本が3冊あり、それを見て私は少し安堵した。私はズバズバ言いたいことを言い、家内に叱られたが悪くはなかったと思う。

失礼する時は義兄も玄関に出てくれた。義姉や義妹夫婦と別れ途中スーパーに立ち寄り、二人分の食事を購入して実家に戻り落ち着いた時は1時過ぎだった。スーパーで買った寿司と生酒の昼食は美味しかった。昼食後に家内がテレビでアマゾン映画を見始めた所で、私は急に走りたくなった。何故か一息つこうという気にならなかった。

UVカットの長袖シャツの上にTシャツと短パンの恰好で行ける所まで行こうと、家を出て肱川沿いの堤防を走り始めた。初めは体が重かったが頑張って走っているうちに大洲城前公園に着き、勢いで往復した。18千歩15キロを107分と昨年とほぼ同じペースで走れた。

実家の近くの散歩道で洒落たカーディガン姿の家内が待っていてくれた。シャワーを浴びると夕食は義妹が作ってくれたローストビーフと義姉の自家製こんにゃくをツマミにお酒、一人暮らしの時に比べると何と贅沢な夕食だった。2日目が終った。

3日目は早朝の筋肉痛で始まった。簡単な朝食を終えて7時過ぎに家を出て、空港まで家内を送って行った。1日目と同じく高速道路を通り伊予市から空港に向かったが、工事中の表示が分かり難く行きも帰りも迷った。私の読解力に問題があるのか、担当の工事関係者の国語表現が問題なのか。

11時前には実家に戻り3日間の衣類の洗濯をした。お昼は何時もの質素な食事に戻り、コーヒーを淹れて家内のお土産のチーズクッキーを食べた。これが実に美味しかった。ダージリン&チェダーチーズの焼き菓子、初めて食べる味だった。忙しい3日間を閉めるにふさわしい味だった。■
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