かぶれの世界(新)

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車検に手こずる高齢者

2022-05-13 20:45:05 | 日記・エッセイ・コラム
田舎に置いている車が今月25日に車検を更新しなければならない。早期退職し田舎に住む母の老後を見守る為に定期的に帰郷し始めた数年後、母に車を買ってやると申し出を受け恥ずかしい思いをした。ケチな私が慌てて中古車を買ったのが2008年、マツダ・デミオ・スポーツだった。

元の持ち主は2002年に新車登録したそうで、通算で20年経過し約1万キロ弱走った。購入後田舎まで走り、その後は春から秋まで6カ月田舎生活で利用し、冬から春にの間は車庫に保管した。田舎にいる間は老々介護し、母の死後も高齢者の私の田舎暮らし必須だった。田舎では買い物に月500キロ程度走る程度だったが無ければ困った。

20年の間に車のアチコチが故障した。私や息子の運転が未熟で車体の両サイドを擦り傷つけ、ライトが点灯しなくなり、タイヤが摩耗、バッテリ・タイヤ交換等々。だが、若い頃にバイクで山間部のワインディング走にハマった私には、田舎の山間部を車で走る楽しみを与えてくれた。

しかし、流石に20年経過した車には疲れが出て来た。昨春帰郷後バッテリーを接続し起動すると、エンジン・エラーの表示が出てノッキングした。その後慣らし運転するとノッキングは無くなったが、その後も時折エンジン・エラー表示が点いたり消えたり。更に今春はエラーランプが点きっ放し。

二日前に実家の近くのA社に車検の見積もりを依頼した。結果はエンジン回りの殆ど部品交換、それ以外にもブレーキ・ベルト・サスペンション等々2ページの見積書は部品交換で溢れていた。見積額は29万円で、エンジン制御コンピューターに問題があれば40万になると言われがっかりした。

ここまで修理があるなら車検を続けるより、車を買い替えるかレンタルかリースをする手もあるという。後期高齢者直前の私はそれ程長く車に乗れない、東京と田舎を行き来する生活環境もある。それも解として有り得ると思い説明を聞いたが、暮らしにくい生活になると憂鬱になった。

そこで初めて知ったのが、最近中古車価格が急騰している。私が数年前から理解していた20-30万円で買える軽の中古車などない、最低でも100万円前後と聞き驚いた。有り得ない。それではとリース価格を聞くとA社の相場は100‐200万円で私の予算の範囲にない。

1週間考えさせてくれと言って、一旦引き上げることにした。田舎で車のない生活など考えられない。ご近所の80-90歳以上の「三ババ」は一人暮らしだが、頻繁に子供達が様子を見に来て買い物をしているようだ。私はどうするか、その夜は悶々としながらベッドに寝転がった。■
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世界にはびこる独裁・強権国

2022-05-12 16:26:45 | 国際・政治
フィリピン大統領選で独裁者にて元大統領を父に持つマルコス氏が当選したとのニュースを聞いて驚いた。正直言うと事前の世論調査でもマルコス氏が圧倒的にリードと聞いていたので、「ああ、やっぱりか」という失望の気持ちだった。あるコラムニストは世界は変わったと投稿した。私も。

父親は独裁体制を敷き3000人以上殺害、利益誘導・汚職をまん延させ1兆円以上を蓄財した。1986年に国民が立ち上がって暗黒時代を独裁者を国から放逐した。だが、その息子が国に残って知事や上院議員を務め遂に大統領になった。私には「なってしまった」という印象だ。

失礼ながら「フィリピン国民は記憶力がないのか」と思わずにはいられなかった。まだ40年もたってないというのに。新大統領は地方の若者の支持が高い一方で、60代以上は対立候補を支持したと報じられた。多分、教育や報道の方が記憶喪失症にかかっていたのかもしれない。

では彼等若者はどんな政策を支持したのか。マルコス氏は「団結」を訴えたものの、候補者討論会には1度も参加せず、肝心の政策も断片的に語った程度だと報じられた。それでは何が決め手だったのか、彼はSNSで若者向けの情報発信して父親の不都合な真実を塗り替る一方で、魅力的な経済政策を展開したという。

待てよ、これって何度も聞いた選挙シナリオだ。選挙民へどれだけ魅力的に訴えるか、嘘かホントかではない、その為に効果的な道具建てを徹底的に活用する。それだけでは不十分なら、メディアに圧力をかけ不都合な真実を潰す。これって、フィリピンだけじゃないだろう。現にプーチンがやってることだ。だが、プーチンだけじゃない。

偉そうには言えない。自由の国アメリカでもトランプ元大統領もフルに活用した。中国や北朝鮮では国家ぐるみでやってる。NATOに加盟しているハンガリーやトルコも反対勢力に対して強権的な圧力をかけている。「アラブの春」はSNSが大きな役割を果たしたと言われたが、いつの間にか使いようで強権政治の道具にもなった。

実際に世の中はどうだろうか。最近の米メディによると、一昨年銃による死者は2万人を超え、薬物過剰摂取の死者は108,000人近くになったという。大騒ぎで報じられるウクライナ戦争の死者数を遥かに超える被害者数だ。一方物価高に苦しむ米国民はバイデン大統領を40%そこそこしか支持してない。救いは、マスコミは何でも報じられる。

こういう矛盾の中で暮らす人々の支持を得る為に、SNSは強権的な独裁者でも都合の良い情報だけを流す最強の道具になった。周りにいれば目的を変えて金儲けにもなる。国民は日々の生活の為に自由とか民主主義とか言ってられない。彼等を馬鹿だと言ってしまえば終わりだ、しかし放っておけば世界中に独裁・強権国がはびこる。残念ながら現実はそういう世の中に徐々に変わりつつある。■
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朝ドラの好き嫌い

2022-05-11 16:29:26 | テレビ番組
NHKの朝ドラ「カムカムエヴリバディ」を欠かさず見たが、今回の「ちむどんどん」は見て顔をしかめるシーンがありチャンネルを何度か切り替えた。朝ドラファンと言っても夫々に好き嫌いがあって当然だと思う。「カムカムエヴリバディ」は団塊世代の私の青春時代と重なる時代設定になっており、特別なドラマだったかも知れない。

私は中学時代ずっとラジオ講座「基礎英語」を聞き、青春時代にアメリカ初のポピュラーソングにハマり、会社勤めを始めてから一時期「ビジネス英語」を聞いた。この時学んだ英語が仕事の役に立った。なので、子供が中学生になった時に基礎英語を勧め、彼等の役に立ったと思う。私だけでなく三世代にわたってラジオの英語講座を聞くストーリーがハマったのだろう。

一方、「ちむどんどん」は始まったばかりでこの後ストーリーがどう展開するか分からない。だが、主人公の兄が独りだけ無責任で借金や暴力を振るうなど、愛おしい家庭に相応しくない振る舞いをする。乱暴な言葉使いを聞くだけでイラついて、テレビを見ながら読んでた新聞を放り投げたい気分になった。そういう狙いで演技したのだから役者として成功なのだろうが、私の気分は悪い。

同じく見てイラついたその前の年に見た「おちょやん」で、評判の子役米田暖乃ちゃんが出てきて強烈な河内弁(多分)で父親をののしる場面だった。この天才的と言われる子役は私もファンなのだが、河内弁でののしられると辛い気分になって他所を向いたり席を外したくなった。

間違いのないようにとネットで調べると、何と「おちょやん」と「ちむどんどん」はイライラさせる二大朝ドラのようだ。私の感覚は世間の朝ドラファンと同じだ、一致したと思ってちょっと自慢だった。だが、嫌がられたのは「おちょやん」のテルヲであり、暖乃ちゃんではなかった。あんな可愛い子にイラつかされる訳には行かないという事か。■
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連休の終わり(補)

2022-05-09 18:49:57 | 日記・エッセイ・コラム
最近の私の投稿は主題に合わせて報告すべきネタの一つか二つ忘れてしまうことが多い。恥ずかしながら同じテーマに連番をつけて追記することが増えた。大抵の場合、歳のせいだと言い訳して書き忘れたネタを追加して誤魔化す。実は単純な物忘れなのに。ブログだけではない、日常的なものだ。自慢する訳ではないが、今聞いたことを忘れるのだから。

前回投稿した「連休の終わり」についても肝心なことを投稿し忘れた。その一つは四国88ヵ所巡礼のお遍路さんが消えたことだ。連休の少し前頃からちらほらお遍路さんを見かけるようになり、連休中はコロナ以前に戻った印象を受けた。だが、連休が明けた今日は彼等が消えた。

コロナ前は遍路道を車で走ると何時でもお遍路さんがいた。連休中も外国人のお遍路は見かけなかった。今後、海外からの入国規制が緩めば外国人のお遍路を見かけることになるだろう。その時がwithコロナがニューノーマルになった時だろうと思う。外国人遍路がどういう形で現れるか、それが「新しい平常状態」を理解する鍵になる。

実際、今日の国道の通行状態を見てると、連休が終わり返って車が増えてオミクロン下の新ビジネス状態になったように感じた。勿論、バイクも他県ナンバーの車も消えた。ニュース番組によると渋谷駅前の交差点の人出が減って「普通の状態」に戻ったと報じていた。私は何かが微妙に違うと思う。

ああ、そうなのか、新しい平常に戻ったという事かと私は思った。何故かホッとした。■
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連休の終わり

2022-05-08 20:44:53 | 日記・エッセイ・コラム
今年の5月の連休はいつもより長かった。とっくにサラリーマン生活を終えた私なので、年中休みで特別な思いはない。報道は繁華街や高速道路の絵を見せ、今年の連休は全国的に人出が回復したと伝えてた。テレビに登場する専門家はコロナ感染に注意する様発言するが、明らかに彼等の出番が減った。感染しても重症化しないことが国民の共通認識になったということだ。

コロナ以前は連休になると田舎でも県外ナンバーの車が数多く見られたが、この2年間は全くと言っていいほど見なかった。実家に置きっぱなしの私の多摩ナンバーの車は相当珍しかったはずだ。だが、今年の連休の間は3年前ほどではないが県外ナンバーの車をちょくちょく見かけた。

それより目立って急増したのが二輪車ツアーだ。2半(250cc)から7半(750cc)の高速道路を走れるバイクだ。連休中にバイク仲間がつるんで四国一周とか、10日かければ西日本ツアーだって出来るだろう。高速道路の出口で遅れて来るバイクを待つ集団を見かけたが、バイクは例外なく黒色のロードタイプが多い印象を受けた。

私がバイクにハマった40年前頃はレーサーモデルが流行った。赤や緑色の派手なカウリングをつけたいた。普通のバイクでもレーサーモデルぽく見える様改造したものもあった。私は当時スズキのカタナ改造車の中古を買って乗っていたので、いまだにバイクが気になるのだ。

今朝1週間ぶりに川沿いを15キロジョギングをした時、橋を通り過ぎる高速道路(松山道)や国道56号線からはバイクが消えていた。車全体の量が減っていたが、県外ナンバーの車が殆どいなくなった気がする。私的には新聞とテレビ番組以外に連休が終わったと実感した日だった。■
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