第8図以下の指し手。△――
まで、95手で一公の勝ち。
ここで飯野愛女流初段が投了した。以下△5七歩成としても▲3八玉で詰みはないし、上手玉も受けなしに見える。それでも△5七歩成くらいは指すと思った。
すぐ感想戦に入る。
「あぁー、我慢比べの将棋でしたよね」
と飯野女流初段。確かに、お互い金銀がほとんど駒台に乗らず、私の駒台に唯一乗った銀は、▲3二~▲4三と動いただけだった。「9筋の歩は私が取ってしまって……。
序盤の私の対応がおかしかったかな? どこか間違いました?」
飯野女流初段は晩学ということもあるが、将棋に対して謙虚で、アマに対しても分からない時は分からないと教えを請う。これを私は支持する。
「いえいえ、さすがに完璧でした。こっちは角銀交換している時点でもうダメですよね」
「でも銀を取る手を楽しみにしていたのに逃げられてしまって……」
私たちは急所の局面を作る。手すきの大野八一雄七段が、感想戦に加わってくれた。
第3図からの▲3四歩には△5五歩とする一手だったという。以下▲3三歩成△5三飛▲4四銀(参考A図)。これは私の予定だ。
「角を打ったら?」
「△2六角ですか?」
「うん。△2六角▲5三銀成△3五角▲6三成銀。△同銀▲8三桂に△6二玉で」
「でもそこで▲4三と(参考C図)とやったら……」
「……あれ? そうかこれはダメだね。……じゃ▲4四銀には△5四飛としましょう」
「▲5五銀」
「△同飛」
「エッ!? まあ指導対局だからいいスか。▲同歩」
「△8五歩(参考D図)」
「あ、そうか……」
「▲8五同歩なら△8六歩▲同玉△8八角ですね」
と、これは飯野女流初段。
「うん、これは上手勝ちでしょう。3三のと金もボケてるしね。だから△5五同飛は指導対局じゃなくても指すよ」
やはり私の角切りは無理筋だったのだ。
これで感想戦は終わり。私は夕方の食事会には出席するが、それまで和光市に行かねばならない。
部屋を出ると、飯野女流初段が6月のパーティーの御礼を言いに来てくれた。
「会場でお話ししようと思ったんですけど、見つからなくて……」
と飯野女流初段。
「いえいえ、私は別にいいんです。飯野先生こそ人気者だし、どこ行っても人が集まって大変だったでしょう」
私は飯野女流初段の気遣いに恐縮した。我ながら、ファンランキングの1位に挙げるだけのことはある。
川口から南浦和に行き、武蔵野線に乗り換える。車中ではRadikoでミスDJを聴こうと思ったが、ついついさっきの将棋を考えてしまう。
あれ? 投了の局面で、△8一玉なら詰みがない? 私は桂や香の受けばかり考え、玉を逃げる手をうっかりしていた。下手は次に明快な詰めろがなく、私は考え込んでしまう。
しかも、投了のその前に△5七歩成とくれば、私は▲3八玉と逃げる予定だった。すなわち、「△5七歩成▲3八玉△8一玉(参考E図)」なら、むしろ上手持ちに思える。
参考E図からA▲8二と左△同角▲同と△同玉は上手陣がサッパリして、これは下手が戦意喪失だ。
B▲8二歩△7一玉▲9二と左は詰めろでも何でもないので、△5八とで上手勝勢だ。いや△8三銀とと金を取られても負けだ。
C▲7二と△同玉▲8四歩△8二歩も、下手にもう一押しがない。
あれ? あれれれ?
飯野女流初段には以前も、上手に受けがある局面で投げられたことがあるが、今回も上手が生き延びていたんじゃないか?
和光市の長照寺に着いて、仏家シャベルや木村家べんご志の落語を聞いていても、私はこの局面が脳裏から離れない。噺は面白いのに私は真剣な顔をして、寄席にいるのに寄せを考えている。
(30日につづく)