第30期名人戦と第31期名人戦は、名人と挑戦者の違いはあれ、似たような経過を辿っている。敗者側から見ると「●○○●○●●」で、第5局は快勝、第6局と第7局は有利の将棋を逆転負けとなっている。細かく見てみよう。
1971年の第30期名人戦は、升田幸三九段が3年振りに名人戦に登場した。名人はもちろん大山康晴。升田九段は当時53歳だったが、年齢のことはあまり話題にならず、「大山-升田の名人戦」ということでフィーバーしたと思う。
その3年前の第27期名人戦は、升田九段が4連敗。対大山戦初のストレート負けという屈辱を味わった。そして第30期の第1局も大山名人が勝ち、「今回も升田はダメか……」と升田ファンは嘆いた。
そんな第2局、升田九段は石田流を採用した。これに勝ち、第3局も石田流を連採。「天来の妙手・△3五銀」を織り交ぜ辛勝した。
続く第4局は負けたが第5局は居飛車で快勝し、升田名人復位の機運が高まったのであった。
第6局も升田九段は石田流。▲6七角と自陣角を放ち、この角が働くかどうかが焦点となったが、うまく捌いて先手有利となった。
だが第1図の△6二香に、すぐ▲4二馬と切ったのが短兵急だった。以下△同玉▲5五金△同銀▲2二飛と進んだが△3二角が粘り強い受けで、以下大山名人の制勝となった。
戻って第1図では、▲6三歩△同香▲4二馬△同玉▲6四歩△同香▲5五金と指せば、先手が有望だった。
そして最終第7局は、先手番を引いた升田九段がまたも石田流を採用した。実に5局目の石田流である。
だが序盤で作戦負けに陥り、苦戦を強いられる。ところが指し手が進むにつれ形勢が接近し、第2図は先手が有望の局面である。
ここで升田九段は▲1四香と銀を取った。しかし、当然に見えたこの手が疑問だったというのだから将棋は難しい。ここは何はともあれ▲5五金と馬取りに出るところで、こう指せば後々まで▲5五金が大威張りし、局面を決定的によくできた。つまり「升田新名人」が誕生した可能性が高かったのである。
本譜は▲1四香に△5四歩と、じっと金出を消されて勝負あり。大山名人の名人13連覇となり、升田九段はこれが最後の檜舞台となった。
将棋にタラレバはないが、第6局と第7局のどちらかを升田九段が制していれば「54歳名人」が誕生していたわけで、さらには中原誠十六世名人との名人戦も実現していた可能性も高い。この七番勝負は見たかったところである。
そして翌1972年・第31期名人戦は、中原十段・棋聖が挑戦者に名乗りを挙げてきた。
大山-中原の対戦成績はここまで中原二冠がリード。タイトル戦も大山名人が2(王将1、王位1)、中原二冠が5(十段2、棋聖3)だったが名人戦になれば話は別で、丸田祐三九段などは「大山名人の防衛」と信じて疑わなかった。
さて七番勝負第1局は中原二冠が勝ったが、第2局は終盤で大山名人に「△8一玉」の好手が飛び出し、タイ。その後両者が1勝を上乗せしたが、第5局は大山名人が会心の指し回しを見せ、快勝。ここで中原二冠は今期の名人を半ば諦め、第6局ではヤケクソ気味?に振り飛車(三間飛車)を採用した。
だが振り飛車退治こそ大山名人の得意とするところであり、中盤まで優位に進める。
だが第3図で△8九飛と下ろしたのが攻め急ぎだった。中原二冠に▲3一銀と打たれ、事の重大さに気が付いた。
以下△3一同金▲4三馬(飛金両取り)△7一飛▲8二銀にて先手優勢。以下、中原二冠がそのまま押し切った。
戻って第3図では、△6六飛が正着だった。以下▲6七歩△6四飛で後手が優勢を維持できた。続けて▲6四同馬△同歩▲8二飛には、△7二角で後手勝てる。
そして最終第7局は、大山名人の居飛車明示に、中原二冠は中飛車に振った。この戦型選択も将棋史七不思議のひとつだが、ともあれこの将棋も大山名人が中盤まで優位に進めた。
だが終盤は微妙にもつれ、第4図は微差ながら先手がリード。
ここで大山名人が夕休5分前に▲4三竜と飛車を取ったのが悪手だった。
名人の読みは△6八と▲同金△9三角成に▲同香不成が次の▲9一飛を見て必勝、というもの。
しかし実戦は△6八と▲同金に、黙って△4三銀が好手。▲3九角成に△7一玉と早逃げし、後手の勝ちが決まった。
「△3九の角をタダで取らしてくれるわけがないと思った」
とは大山名人の弁である。「精密機械」と謳われた大山名人が緻密な読みを欠き、思い込みと願望で指してしまった。ここに加齢の綻びが見えたのである。
かくして名人位が13年振りに代わり、歴史が動いたのだった。
1971年の第30期名人戦は、升田幸三九段が3年振りに名人戦に登場した。名人はもちろん大山康晴。升田九段は当時53歳だったが、年齢のことはあまり話題にならず、「大山-升田の名人戦」ということでフィーバーしたと思う。
その3年前の第27期名人戦は、升田九段が4連敗。対大山戦初のストレート負けという屈辱を味わった。そして第30期の第1局も大山名人が勝ち、「今回も升田はダメか……」と升田ファンは嘆いた。
そんな第2局、升田九段は石田流を採用した。これに勝ち、第3局も石田流を連採。「天来の妙手・△3五銀」を織り交ぜ辛勝した。
続く第4局は負けたが第5局は居飛車で快勝し、升田名人復位の機運が高まったのであった。
第6局も升田九段は石田流。▲6七角と自陣角を放ち、この角が働くかどうかが焦点となったが、うまく捌いて先手有利となった。
だが第1図の△6二香に、すぐ▲4二馬と切ったのが短兵急だった。以下△同玉▲5五金△同銀▲2二飛と進んだが△3二角が粘り強い受けで、以下大山名人の制勝となった。
戻って第1図では、▲6三歩△同香▲4二馬△同玉▲6四歩△同香▲5五金と指せば、先手が有望だった。
そして最終第7局は、先手番を引いた升田九段がまたも石田流を採用した。実に5局目の石田流である。
だが序盤で作戦負けに陥り、苦戦を強いられる。ところが指し手が進むにつれ形勢が接近し、第2図は先手が有望の局面である。
ここで升田九段は▲1四香と銀を取った。しかし、当然に見えたこの手が疑問だったというのだから将棋は難しい。ここは何はともあれ▲5五金と馬取りに出るところで、こう指せば後々まで▲5五金が大威張りし、局面を決定的によくできた。つまり「升田新名人」が誕生した可能性が高かったのである。
本譜は▲1四香に△5四歩と、じっと金出を消されて勝負あり。大山名人の名人13連覇となり、升田九段はこれが最後の檜舞台となった。
将棋にタラレバはないが、第6局と第7局のどちらかを升田九段が制していれば「54歳名人」が誕生していたわけで、さらには中原誠十六世名人との名人戦も実現していた可能性も高い。この七番勝負は見たかったところである。
そして翌1972年・第31期名人戦は、中原十段・棋聖が挑戦者に名乗りを挙げてきた。
大山-中原の対戦成績はここまで中原二冠がリード。タイトル戦も大山名人が2(王将1、王位1)、中原二冠が5(十段2、棋聖3)だったが名人戦になれば話は別で、丸田祐三九段などは「大山名人の防衛」と信じて疑わなかった。
さて七番勝負第1局は中原二冠が勝ったが、第2局は終盤で大山名人に「△8一玉」の好手が飛び出し、タイ。その後両者が1勝を上乗せしたが、第5局は大山名人が会心の指し回しを見せ、快勝。ここで中原二冠は今期の名人を半ば諦め、第6局ではヤケクソ気味?に振り飛車(三間飛車)を採用した。
だが振り飛車退治こそ大山名人の得意とするところであり、中盤まで優位に進める。
だが第3図で△8九飛と下ろしたのが攻め急ぎだった。中原二冠に▲3一銀と打たれ、事の重大さに気が付いた。
以下△3一同金▲4三馬(飛金両取り)△7一飛▲8二銀にて先手優勢。以下、中原二冠がそのまま押し切った。
戻って第3図では、△6六飛が正着だった。以下▲6七歩△6四飛で後手が優勢を維持できた。続けて▲6四同馬△同歩▲8二飛には、△7二角で後手勝てる。
そして最終第7局は、大山名人の居飛車明示に、中原二冠は中飛車に振った。この戦型選択も将棋史七不思議のひとつだが、ともあれこの将棋も大山名人が中盤まで優位に進めた。
だが終盤は微妙にもつれ、第4図は微差ながら先手がリード。
ここで大山名人が夕休5分前に▲4三竜と飛車を取ったのが悪手だった。
名人の読みは△6八と▲同金△9三角成に▲同香不成が次の▲9一飛を見て必勝、というもの。
しかし実戦は△6八と▲同金に、黙って△4三銀が好手。▲3九角成に△7一玉と早逃げし、後手の勝ちが決まった。
「△3九の角をタダで取らしてくれるわけがないと思った」
とは大山名人の弁である。「精密機械」と謳われた大山名人が緻密な読みを欠き、思い込みと願望で指してしまった。ここに加齢の綻びが見えたのである。
かくして名人位が13年振りに代わり、歴史が動いたのだった。