現場を離れて永いことたつと「今の時代」から大きくずれてしまう
そしてそれに気づかない
そのままの状態がずっと続いていると錯覚してしまう
まさに今日、その体験をした
イカ飯の「するめいか」が必要になって、大きさを考えてMサイズを
魚市場に発注した、そして今朝中身を確かめるとそれはSサイズの
イカだった。
驚いて箱を確かめても、それはMサイズなのだ、私が現役の頃の
サイズはもう一桁違っていたのだ、私の頭の中にあるMサイズは
Lサイズを注文しなければいけなかったのだ。
原因はイカが全国的にいなくなったからだ、これも乱獲の結果
なのだろうか
子供の頃は朝どりの生きているイカが100円で10匹ほども買える時代
近所のお母さんたちが入荷をまってそれぞれに入れ物を持って買いにきた
私が魚屋を始めた40年前でも大きな生きているイカを3~5匹で250円
350円で量販したものだ、今は小さめのサイズのイカが一匹250円も
300円もしている、それもこの海で取れたものでなく青森とか遠い産地の
ものである。
あの、生きていて刻々と黒や茶に変わっていく背中の斑点
清流のような透明のイカの姿は数十年見ていない、水槽で泳ぐイカだけ
世の中にないものはなく、お金さえ出せば何でも手に入る便利な世の中
だが庶民の素朴な楽しみはどんどん無くなっていく、それを悲しみ懐かしむ
人間もだんだん減っていく
ブータンの国の人たちの生活をテレビでやっていた、長野県そっくりの景色
昭和30年代の農村の風景 のんびりと暮らしていた貧しい時代の風景
誰も貧しいといわなかった貧しい時代 今と比べると遥かに貧しい時代
だがのんびりした時代、金もないが銀行にも税金にも追われない豊かな時代
田舎にも大勢の人が住み、田畑を耕し、老人が家で家族に看取られてあの世に
旅立つことができた時代、豊かさと貧乏 贅沢と質素
もう戻れない物質文明 金銭本位の世界 自分も加担している世界