上杉政虎入道謙信は、信玄の無礼に怒り、越後に帰還したが猶も怒りは静まらず、今度こそ信玄と有無の一戦を行わんと、五月二十五日に、またも信濃へ軍を進めた。
おりしも五月雨が降り続き、犀川は大いに水かさが増し岸を覆いつくしているが、謙信はものともせず、溢れる川に軍をすすめて向こう岸に渡る
その間に溺死するもの数百といえども、謙信は事ともせず、真っ先に馬を乗り入れたので兵は励まされて後に従って渡河したのであった。
そして川田山に陣を敷いた
すると信玄も間もなく川中島に出張り、高畑山に陣を敷いた
此度は信玄も謙信の怒り尋常でないことをわかっているので、陣を特に堅固にして備えた
謙信もまた名将なれば、迂闊に攻め寄せる危険を察知して動かず、すでに七十余日に及んだ
足軽の小競り合いが続くばかりで日は過ぎていく、謙信はついに信玄に遣いを出した
「両家の対陣に日を暮らすこと数十日、軍勢の疲れ、人民の困窮は心を痛める、これ忍びえず、所詮運を一戦に任せるべし
其の方より川を越えてくるか、さもなくば我らが越えて行ってもよい一戦を始めるべし、いかがか」と言えば
信玄は、これに答えて「その方が一戦を望むのだから、其の方が川を渡ってくるべし」と答えて、川岸に沿っ厳重に陣を固めて、一網打尽に打ち滅ぼす構えで待ち受けた。
その夜、寅の刻に謙信は川田山を発って、川を越えるかと見るにそうではなく、牛島をも過ぎて東道を十五里も下って、長沼村上の渡しを越えて、山根の村々に押しかかり、武田に降った郷村を焼き払った
武田方はこれを知って大いに怒り、「わが陣の近間にて放火の狼藉を許すとは心安からず、これを見過ごすことはできぬ、すぐに攻め入って追い散らさん」と罵れば、信玄は壮士らの動揺を見て「一人も備えを出たはならぬ、軍令に背けば重罰に処す」とむかでの使い番を走らせて下知すれば、諸士拳を振るわせて歯を食いしばり、いたずらに睨んでいたが、その間にも越後勢は二十里も奥深く押し込んで小市辺まで焼き尽くす
それでもなお武田勢は静まりかえるを見て、謙信は「さりとても信玄め、只者ならざる者よ」と言って煙に紛れて引き散る
信玄も潔い謙信の引き際を見て、謙信こそ山本入道が申す通りの大将であると後悔の念を顔に表した。
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