戦後10年、昭和30年代の田舎は駅を中心に、市内の中央商店街が「**銀座」「中央商店街」「本町商店街」などの名称で発達し、衛星的に少し離れたところに小さな地域商店街がいくつもできた。
地域商店街は日用品、生鮮品の店だけ、市の中央商店街は買回り品や高級品の店舗が連なって日曜日には歩行者天国並みに賑わった。
やがて40年代に入ると、中央商店街の中で力を蓄えたものが100坪スーパーに変身、さらに力をつけたものは地方小型デパートに変身して食糧から衣料まで扱うようになる、中央商店街はこれらを核にしてますます集客力を高めた、しかしあおりを食ったのは周辺の小商店街だ、中央に客を吸い取られて次第に衰退していく。
中央商店街はわが世の春だった、ところが50年代に入ると状況は大転換、車社会になると、ついに都会の大資本がこの田舎町にも進出、大駐車場をもった郊外スーパーを展開し始めたのだ、駐車場のない中央商店街から次第に客足が遠のく、先見の明と資本を蓄積した商店だけが中央商店街を離れて、郊外にスーパーや専門店を開店して対抗した。
平成には力尽きた店が順々に廃業や倒産をして、いまや中央商店街はシャッター通りと化した、郊外には大手スーパー、大手衣料、大手家電が立ち並び、大手通しの戦争がはじまり、敗れて撤退するスーパーもでてきた。
いまや田舎も全国展開するチェーン店が郊外に立ち並び、そこだけ見れば都会と変わらぬ風情だ。
先日、新規開店の食料品スーパーに行ってみた、私も鮮魚店の経営や地方スーパーのテナント入店もしたことがあるが、このスーパーを見て、個人商店はお客さんの支持を得ることはできなくなったと思った、地域密着とか思いやりとか細かなサービスとかが個人商店の強みというが、スーパーにはそれ以前のサービスがびっしりと詰まっている、はっきり言って「ないものがない」、私は自分の無力感と同時に感動を覚えた、生鮮品はもちろん、惣菜、すし、てんぷら、おにぎり、更にクジラ肉があるのにも、塩すじこがあるのにも驚いた、個人商店では、あるいは田舎の魚市場でも手に入らないシロナガスクジラや塩筋子(醤油漬けばかり出回っている)を見た瞬間、大手スーパーの実力に脱帽した。
商店街から始まったときはベスト16、周辺商店街がダメになってベスト8、都会型スーパー進出でベスト4、中央商店街が滅亡して準決勝、大手チェーン店戦争激化の決勝戦が今始まっている。