神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

たかが手紙 されど心の手紙

2015年11月06日 19時49分43秒 | 知人・友人

うれしい便りが届いた  待ち焦がれた便りが届いた

このところ憂鬱な日々が続いていたが

この一通の便りで景色が変わった

 

手紙には文字が並んでいるけれど

教科書と違うのは、手紙は一人が一人だけに語りかけていると言うこと

間違いなく手紙の向こうで語りかけている

何も書いてない真っ白な便せんに

頬杖で「何を書こうかな」 の姿が見える

知らせたいこと 喜び 悲しみ 悩み

 

遠い昔のラブレター 書くも 貰うも

めまいがするようなときめきの中であったが

それもただただ一人のために一人が書いたものであったからだ

囁きかける それが耳元では無く 目から入ってくる

何の雑音も無く 想念だけが心にぐさりと入り込んでくるのだ

 

最近は何かとメールだ ツィッターだ 

あれはほとんど会話に等しい およそ手紙とは似ても似つかぬ

短い言葉のやりとり

やはり手紙は深い

昔の文人や政治家 あるいは軍人などの手紙には感心感激感動のものが多い

先日、硫黄島の戦場で散った司令官 栗林中将の実録を読んだ

日本は敗戦色濃くなり、各地で追い詰められ玉砕に次ぐ玉砕

硫黄島も数万の日本軍が玉砕したが

戦傷者数ではアメリカ軍の方が多かった唯一の戦場だった(昭和19年以後においては)

その指揮官であるからまさに鬼神を想像するが

司令官が家族に送った数多い手紙は、およそ戦争には無縁な人に見える

家の中の修繕、釘一本の打ち方まで指示するような、単身赴任のサラリーマンが

家族を想って書いた手紙そのものだ

何も知らずにこの手紙を読めば、平和な時代に書いたものと錯覚するだろう

この手紙には暖かい心がこもっている

手紙とはそういうものだ、切手を貼った封筒の中から飛び出すのは

あなたへの溢れるばかりの心と想いなのだ