「気」を考えたことがありますか?
「気が合う」「気がつく」など「気」がつく言葉はたくさんある
どうして、こんなに多いのか それは重要だからです
昔の人は感じていたのでしょう
「気」とは何か? 生命の根本です
「命」「魂」「体」「気」は一体です そもそも「魂」そのものは「気」と同じです
「命」は肉体の寿命 消費期限です 「気」が死ぬことはありません
「気」は大自然と一体化しているからです
肉体は人間のみではありません そもそも人間がそれらしくなったのはせいぜい数十万年前
地球や太陽の40億年とかいう年齢に比べれば屁みたいなもんです
だいいち40億年ってどんな長さですか? 地球が太陽のまわりを40億回まわったと言うことに過ぎません
じゃあこの先、どれだけ地球は太陽の周りを回りますか? 無限ですか 永遠ですか
少なくとも人間が滅びるよりは長く回っているはずです
しかしそれも永遠ではない やがて太陽は大膨張して地球を飲み込みます
その挙げ句 いずれは太陽も核爆発を起こして消滅するはずです
太陽も地球も太陽系もわれわれの銀河もいつかは無くなるのでしょう
それでも消滅しないものがありますそれは「気」です
「気」は「生命」で有り「根源」です
「気」に姿は無く どこかで存在しています 感情も無く 考えも無く 時間も無くどこかに溶け込んでいます
時に「気」は何かの「肉体」に入り込みます すると生命体活動が始まります
そこに感情が生まれ 活動が生まれ 人生が始まります 体の消費期限が終わるまで
「気」は何も思いません 考えません 体を得て、脳を得て初めて思いや考えや感情が生まれます
それを「煩悩」と言います
体を持たない「気」には「業」も「煩悩」もありません じゃあ何がありますか? あるのです
それは「無のやすらぎ」 何者にも影響されない「やすらぎ」です
宗教的な「無の境地」と似ているかもしれません
人間界の「無の境地」もまた人為的なものではありますが
何も無いのに 何かがあるそれが「気」です あるのです
体に入ってしまうと「やすらぎ」は消え去り 様々な生活環境で葛藤が始まります
だから宗教での人間の位置は決して高くありません
「汚れ」「邪気」みんな人間の業です 体から抜ければ消えます しばしの安らぎです
どのくらいの時間、それが続くのか?
そもそも無に時間は存在しません あえて言えば 人間界での1秒も100億年も同じです 「一瞬」です
だから死ぬと同時に、次の人生が始まっているのです でも本当は錯覚しているのです
長い長い「魂の安らぎ」を忘れ去っているのです
だからこれでは「輪廻の地獄」に他なりません
永遠に「気」のままで体を得ないことが「極楽往生」なのでしょうか