70kB程度の粗い写真でお見苦しいが
晩愁の鬼無里路は白馬からぐんぐんと高度を上げていく
後立山の白馬連峰~唐松岳~五竜岳~鹿島槍と2500~3000mの山並み
その手前にはスキーのメッカ、八方尾根のゲレンデが白く光っている
八方尾根
五竜岳と頂上直下の名物「武田菱」(黒い菱形が武田信玄の武田家の家紋に見える)
登り切ると伝説の村、鬼無里村、そこから北へ裾花峡谷が伸びている 紅葉が現れた
終点の辺りは、もう雪の世界になっていた
70kB程度の粗い写真でお見苦しいが
晩愁の鬼無里路は白馬からぐんぐんと高度を上げていく
後立山の白馬連峰~唐松岳~五竜岳~鹿島槍と2500~3000mの山並み
その手前にはスキーのメッカ、八方尾根のゲレンデが白く光っている
八方尾根
五竜岳と頂上直下の名物「武田菱」(黒い菱形が武田信玄の武田家の家紋に見える)
登り切ると伝説の村、鬼無里村、そこから北へ裾花峡谷が伸びている 紅葉が現れた
終点の辺りは、もう雪の世界になっていた
ようやく週末が開けて、今日は朝一番に市役所で母の年金解約手続きをしてきた
市から届いていた書類は全て書いて持って行ったし、母の年金手帳や介護保険などの
公的な証書やカード類は父が几帳面にひとまとめにして置いてくれてあったので
入院で父がいなくても、難なく手続きが終わった。
私は、こんな父の子なのかと思うほど、「ずさん」で、「ずぼら」だから捜し物だらけだ
その上、古くなった衣類や手紙なども捨てることができない「ものもち」だから
ますます捜し物に時間がかかる、どうも母に似た様だ
母の衣類も妹が来て処分したけれど、大きな袋に(とりあえず)6袋あった
父は身の回りもこざっぱりしている、子供の時から東京でヤドカリ族の両親と暮らした
名残かもしれない。
金庫の中を整理していたら「父が死んだ後」と書いた封筒があって(財産分与の遺言などではなく
私への心構えの指図書だった、封などしてない)残された母には「ああしろこうしろ」と私への指図が
書いてあった。
まさか母が先に逝くとは、父は思いもよらなかった様だ。