今朝は、この冬一番の冷え込みで、道路も降り積もった雪も凍っています
そのかわり海上の灰色の雪雲以外は晴れ渡り青空、南には低い太陽が久しぶりに輝いています
八百八万の神様が住むと言われる我が国、その中でも天照大神(アマテラスオオミノカミ)は
太陽の化身でしょう。 外国でも太陽をあがめる宗教や人種は多い
太陽、水と共に人間が生きていくためになくてはならない存在
そして太陽は暖かい、冷え切った人間を、冷え切った心を温め包み込んでくれる
一年の四分の一を暗い世界で暮らす雪国の人間にとって、表日本の人々以上に太陽への
あるいは青空への憧れは強い
同じ日本に住み、同じ時間を過ごしていても冬中、晴れわたる表日本と湿った日本海側
雪にロマンを求める人たち、雪と格闘して時には命を落とす人たち、雪のとらえ方も違う
太陽への憧れは、温もりへの憧れでもある、弱った父を夜ごと見る度に思いは強くなる
関東で生まれ育った人間が、なぜ雪深いこちらに来たのか、今の私にはおかしな行動としか思えない
当然、戦争が父の人生計画を変更させてしまった事は知っている、それにしたって・・・・
私と同世代の近所のお嫁さんは山梨から嫁に来たが、冬になって1m以上の雪にすっぽり埋まる
この地域の景色を見て泣いていた
今はたくましく生きているけれど、本当に驚いたのだろう・・・・あの大雪は今ではこの地域でも見られない
雪国にいながら、雪への対応が出来ない若者が増えている、それは生活環境や機械類の進歩によるものだ
私たちが20代頃までは、かんじき、そり、タイヤチェーン、スコップ、やかんの湯、長靴と荒縄などは必需品
タイヤチェーンなどお手の物で大雪になれば「さっさのさ」と取り付けて走り出した
ところが調子に乗って深い雪の中に入ると「かめ」になって動けなくなる、するとスコップの出番で雪をかく
自力が無理ならロープで牽引してもらって脱出、近くの人が後押しをしたものだ
今は四駆にABS、チェーンも入らないし、凍った道でブレーキを踏んでも車が回転することもない
昔は凍った道路でブレーキを踏んでスケート状態になって、車が三回転したこともある、どこへ行くかは
車に聞いてくれだ。 今ほど車も無い時代だったから事故にもならず済んだが、いまなら多重事故まちがいない
今でも新潟県の十日町地区、あるいは東北地方や信越、北陸の山沿いでは一晩で1m近く積もる日がある
かっては私たちも経験したことがある、降るばかりでやまず、五日間降り続けた年があった
朝六時前から1m近い積雪を除雪して車を出し、市場へ行って駐車場に戻るともう50cm積もっているという
状態だった、あの年は1階がすっぽり埋まり、道路もその高さで踏み固められて歩道になっていた
雁木の地域では、真ん中の通りが2階の高さで、そこから掘って雪の階段を作り、雁木の下の普通の通りに
下っていくなどという事もあった。 まさに雪の下に町があります状態
雪はイヤだが、なぜか懐かしい、それは雪が友達だった子供時代、青春時代の記憶だからだ
今は雪はまっぴらだし、何の益も無い弊害ばかりの雪国の暗い生活にうんざりしている。