神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

おいらの部屋にも「こたつ」

2017年12月29日 11時07分25秒 | 時代検証

今日は穏やかな朝です、さいわいに今回の大雪注意報も我が町では空振り

まったく雪は消えてしまって、まれに空き地に白くなっているだけで、道路も乾燥しています

ただしどんより空はやはり北国だ

今日は昼に富山市へ雪を見に行ってきます。

 

二十年くらい寒い冬を越してきた、寒い部屋で、そしてそれに慣れた

ところが今回のPねこの入院で、自分の我慢が女房殿、わんこ、にゃんこには過酷だったことに

ようやく気づいた。

冬でもエアコン無し、こたつ無し、女房殿の部屋は石油ストーブ、私は背中に700Wの電気ストーブ

そして熱燗か焼酎お湯割り、それと布団で冬を過ごしてきた、さすがに年齢と共に厳しくなって

去年900円のミニ電気あんかを買って布団に入れるようになった。

 

Pねこ入院中に、Pねこの為にこたつを買った、わが家にこたつが来たのは20年ぶりくらいだろうか

こたつに入ってテレビを見ていた記憶はある

一昨日の夜、自分の部屋で思ったのだ「この部屋にこたつがあれば、横になってうたた寝出来る」と

4畳半の部屋には木製4段の本棚が2つ、6段の和箪笥、開きの洋ダンス、そしてベッド、3段物入れ

そしてテーブル1にはテレビとモニターとコンポステレオとレコードプレィヤー

残るは畳3分の2の空間だけ、その半分はパソコンが乗ったテーブル2が鎮座

電気屋へ行って3800円のこたつを買った、最大出力300W、因みにネコちゃんのこたつは5000円

700W

テーブル2を片付けて、こたつを置いてみた、なんとか横になってこたつに入れそうだ

もう全てぎりぎり、仮住まい故しかたない、女房殿に明け渡した本宅の風通しの良い10畳間が恋しい

 

この狭い部屋を見て昔を思い出した

新潟市で板場修行していた昭和44年~、当時は日本中で学生が安保反対運動を展開していた

新潟市も例外ではなく、中学時代から仲良しであったKが新潟大学工学部に入学して、高校卒業と共に

一緒に新潟市に移り、夜な夜な行き来していたのだった

彼のアパートは学校町にあった、下宿屋だ、県高(新潟高校)の近くで2階建ての古びた大きなアパートだった

その中には日本中から集まった新大生(新潟大学生)が下宿していた、たまに遊びに行った

そんな中で岡崎から来ていた農学部の学生Hとは気が合った

市内の県庁付近でおこる学生デモの中心は新大生だったが、HもKも学生運動には無関心なノンポリだったが

このアパートには学生運動の猛者も何人かいた

そいつの部屋を覗いたことがあるが、まさに今日の私の部屋の如くで、狭い部屋の真ん中には小さなこたつ

本来教科書が乗るべきテーブルには「ガリ版」が置いてあった、その横には刷ったアジビラどっさり

今の若者には「ガリ版」はわかるまい、当時としてはプリントゴッコが発売されるまでは一般人にとってもっとも

効率よい印刷機だった

蝋を薄く塗った紙をやすりのようなざらざらな板の上で、鉄の芯の鉛筆(鉄筆)でガリガリ音を立てて字や絵を描く

それを謄写版に貼って、インクをつけたローラーで一枚ずつわら半紙に印刷していくのだ

そういったアジビラ(アジテートびら)作りをしていたのだった

乱雑に散らかった、いかにも安保反対闘争学生の部屋、今自分の部屋を見ながらそれを思い出していた

彼らも卒業後は何事も無かったかのように、ぼさぼさの長い髪を切り七三に髪をわけて社会人となり

バブル時代を戦う企業戦士に変身していったのだった。