私は、この歳になって両親を亡くしたが、心が平静になってみると急に自分の年齢と寿命を意識しだした
これまでは、年齢も寿命も真剣に考えることなど無かった、ただひたすら自分のやりたいように生きてきた
だが今は、自分に残された年月と健康寿命とを意識して、自分が一線を退いたあとの子供や女房のことを
考えるようになってきた
昔のように死を恐れることも無く、自然の意識の中に死を受け入れている
そこで思うのは父のように20歳で親も家(借家)も財産(もともと無かったが)失ったあとの心境である
「無常」そんな心境だったと今は思う、世の中は無常、頼るものなど無く、助けてくれる者も無く
仕事も無く、焼け野原の東京で行き先さえわからない
そんなとき頼りになるのは天下で自分一人なのだと気づいたのだ、それからは迷わず一直線に自分の
人生を他人に預けること無く突っ走った
親が居ると言うことは「安心感」である、やはりどこかに甘えがある、私はそう思う、自分がそうだったから
今は冷静に自分の行く末を考える事が出来るし、何をするべきかも見えてきた、これが「終活」というものなのか
一応、自分の最後の日は決めてある、そこから逆算しながら残りの人生の設計図を描いている
青春期2年、決算期2年、ゆとりの壮年期10年、静かな余生8年、その先は天に任せる
つらつら、こんな人生を描いている