神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

魚屋

2018年09月17日 17時24分44秒 | 時代検証

手元に6つ切りをA3に引き延ばした写真がある

昭和47年、我が町の魚市場が新築移転した記念に撮った写真で、15名ほどの魚市場の職員と

魚屋が70名ほど写っている

一番若いのは、私と同年でスーパーの鮮魚係、父は写っているが私はこの中にいない

当時、鮮魚商組合員は90名を超えていた、その多くは約400平方キロのこの町の各地域に

店を構えて、住民の台所として活躍していたのだ

あれから45年以上がたち、写真の人たちの85%は天国に召された、頑張っていた父も今年2月に

先に逝った魚屋の仲間の元に旅立った

父が、この写真のすぐあとに鮮魚商組合だったものを法人化して協同組合に変えて初代理事長となった

「これでいつでも我々自身が魚市場を開くことができる」と言った

のを覚えている、結局組合は市場を開設することは無かったが、写真の魚市場が倒産したときが

唯一チャンスだったのだ、だが町中を巻き込んだ様々なしがらみがそうさせなかった。

その後、魚屋も市場の衰退と共に衰退していった。

今は組合員は40名になり、平均年齢は70歳超え、一番若い魚屋が40歳を過ぎた。

写真の頃には正組合員90名の他に、魚屋ジュニアの青年部があって、それだけでも25名ほどいたのだ

私もその一人で、多くが親のあとを継いで魚屋になった、それらの者も60~75歳くらいになって、その子で

魚屋を継いだ者は5人しかいない、その5人も40歳を過ぎ、その後は誰も居ない

40名の組合員で、町の中で小売店舗を構えているのは4人だけ、あとは鮮魚センター、料亭、魚問屋、

居酒屋、スーパーなどの法人ばかりで、移動販売や仕出しで生計を立てる個人が少し

もう鮮魚小売店は都会の飲食店などに地魚を送る、「送り」で生計をたてるしか生きる道は無いようだ。

そんな寂しい状況の中で、先日われわれの先輩である大分の78歳の元魚屋さん、尾畠産が、行方不明の2歳の男の子を3日ぶりに

救助した明るいニュース、「60歳まで、魚屋で儲けさせてもらったお礼に、ボランティアで恩返ししたい」と言っていたが

大金星だ。 様子を見ても、いかにも魚屋らしく、はきはきとものを言い、気早な性格も垣間見える

一心太助の時代から魚屋は尻が軽く(浮気者という意味とは違う)気早で人情があって、陽気でズケズケものを言う

一本気で正義感、金は無くても「へへいのへい」で愚痴など言わない

私は25歳から12年間魚屋をやったが、魚屋としては中途半端で一心太助のようなわけにはいかない

世の中も一心太助では渡っていけない、いやらしい世の中だ、だからこそ尾畠さんのスカッとした心根がまぶしい

「**ちゃんが僕を呼んでいるから、必ず見つかります」と捜索前に言って、出発後たった20分ほどで

発見した。 3日間大勢の人たちが探しても見つからなかったのだから、尾畠さんの本気度がわかる

人間の鏡、魚屋の英雄、こんな神様みたいな人が居るのが不思議だ、まだまだ俺も数十回焼き直しだな。

 

 コメントに答えて

 尾畠さんは、魚屋から全ての欲を抜き去った最終形の善人の姿だと思います。
昔の魚屋の心根は、地域の中で役に立つことを一番の喜びとしていたことだと思います
地域の情報も魚屋に集まり、地域の一軒一軒の家族構成を知っていて病人や老人を気遣い
貧しい人には掛け売りして催促もせず、「あるとき払いでいいから」なんて情も見せる
買い物に来られない家には、イワシ数匹でも配達するし、細かな調理も嫌がらずしてくれる
休みの日でも頼まれれば「はい、いいよ」と気軽にやってくれる
大手業者の台頭と消費者の意識、生活環境の変化でそんな魚屋がどんどん廃業していきました
人情が薄れていく世の中で久しぶりに魚屋さんの原型を見せてくれた尾畠さんです。