神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

F先生と、そのおねえさん

2018年10月04日 07時57分17秒 | 知人・友人

「yottinちゃん、あなた若くなったんじゃないの」

70に近い私を、未だにyottinちゃんと言う女性、それでもすぐに「いやだあ、社長さんなのにねえ、ごめんなさいね」

「ずっと、そう言ってたから、クセになってるのよね、ごめんなさいね」

「別にyottinのままでいいですよ」と私

店のフロントでそう言ったのは、60数年前に私を担当してくれた当時の幼稚園の保母さんFさん

当時は20歳そこそこのおねえさんだった。 その後、市役所職員と結婚して、旦那様は教育長にまで

なられた。

父が魚屋の店をもって引っ越した近所にこのF先生は住んでいて、直にお客様になった

父は彼女のことを「yottin先生」と呼んで、請求書も「yottin先生」、昨日もF先生とその思い出話で

盛り上がった、F先生も80歳を過ぎたが健在で、同級生女子4人で毎月同級生月例会を我が店で行っている

11時から3時過ぎまで、昼食を挟んで語り明かしていく、杖を頼りにやっと歩いている人もいるが

この月例が待ち遠しいという

F先生の旦那様も元気で、まだ軽登山くらいはやる元気があるが、先日免許証を返上して「不便になった」と

嘆いていた

この旦那様も俳句に詩吟、登山、同人誌などかなりの文化人で、地域の区長さんも勤めたがその時には

障害児の我が子の為に奔走してくださった恩人でもある。

この家との繋がりは少しある、F先生のおねえさんは、父が魚屋を営んでいたとき、20年近くずっと

店番に来てくれていた、彼女の夫は25歳頃に3人の娘を残して、仕事中に事故で亡くなった

それ以後、女手一つで下宿屋をやりながら子を育て、昼間の閑時間にわが家の店番をしてくれていた

その後、下宿していた県庁職員と再婚して、新潟市へ行ったけれど、その後、私も新潟市で店に住み込み修業

に出た。 月3回の休みには、F先生のおねえさん(「おばさん」と呼んでいた)のアパートへ遊びに行って一日を過ごした

預金通帳と印鑑も、おばさんに預けて、給料をもらうと半分の1万円をおばさんに預けて貯金してもらった。

そんなことで安月給ながら、3年間で当時の30万円貯めたのだからなかなかのものだ。

そのおばさんも60歳くらいで亡くなり、県庁のおじさんも落胆して憔悴、1年待たずに亡くなってしまった

まるで私の両親同様の最後であった。

でも妹のF先生は健在で元気いっぱい、もう10年は間違いなく、おつきあい出来そうだ。