かずが住宅兼店舗を建てた昭和33年は、長男陽一が小学校に
入学したとしでもあった。
長女は5歳、次男は3歳になっていた、そしてかず自身は間もなく
34歳になろうという年だった、この町に来て11年が過ぎていた。
田舎では時間の流れが遅い、そんなのんびりした田舎町でも、かずの
時間だけは早く過ぎている、それだけめまぐるしく生きているという証だ
そろそろ,この町にも中央商店街の旦那さんの家から順次、テレビが
入るようになってきた。
昭和33年という年は、3にまつわるビッグニュースが続いた
プロ野球では立教大三羽がらすが入団、巨人に長嶋茂雄内野手
阪急に本屋敷錦吾内野手、南海に杉浦忠投手がそれぞれ鳴り物入りで
入団した、特に六大学ホームラン記録を塗り替えた長嶋選手は背番号3
派手なパフォーマンスと実力で瞬く間にスターになった。
また333mの東京タワーが完成したのも、この年、昭和33年だった
日本がいよいよ発展していく予感がしたのは東海道線に特急「こだま」が
東京-大阪間に登場、約7時間で走った、これは当時としては画期的なスピード
だった。
かずの家にも、まだテレビは入っていない、近所の家にも入っている様子は
なかったが、孫兵衛の爺さんが毎日、孫の手を引いて店にやってくる
ここから500mほど下ると西町商店街がある、そこの電気店では
店頭の棚にテレビを置いて、通行人に相撲の時間だけ放送を見せるのだ
爺さんは、それを楽しみに行くのだが、その前にかずの店先で刺身を切って
もらって食べていく、それが隠居の楽しみだと言う、そして
「おまえが、ここで魚屋を開いてくれてありがたい、町までいかんでもうまい
刺身が食べられる」と毎回言う、これを聞くと、かずもなんだか嬉しくなるのだった
夏の夕暮れには店先に縁台を出して涼む、明るい時間は縁台将棋で楽しむ。
ちょっとした家や店の修繕があるとむかえの家の爺さんに頼む、
この爺さんは元大工で今は隠居の身だ
仕事が終わって「じいちゃん、これ」と謝礼の包みを差し出すと決まって
「こんなもんは、いらん」と言ってから
「いつものがあれば、それが一番だ」と付け足す
かずもわかっていて、焼酎の一合瓶と刺身一皿を縁台に腰掛けている爺さんに
持って行くと
「これこれ、これが一番だ、極楽極楽」と目を細める
戦後間もない、生き馬の目を抜くような殺伐とした東京で生きてきた、かずにとって
こういった田舎のまったりとした人間関係は心が癒やされる
こうして田舎に同化しながら生きているうちにまた2年も過ぎ、テレビが大半の
家に普及した、それでもかずはテレビを入れなかったが、息子達が毎晩
近所のテレビのある家に「テレビ見せてください」と行くことが次第に
哀れに見えてきた。
かずは、お金が少し貯まるとなぜか店や家にかけたくなるクセがある
裏の空き地にも平屋の建物を作って、前半分は風呂、後半分は物置にした
店にも木製の冷蔵庫入れたし、運搬車も買った
しかし家族の団らんとなるとそれに費やす道具は一切買わない
しかし息子が「昨日、うちにもテレビが入った夢を見た」と言ったとき
さすがに買う気になったのだった。
テレビが来た日、子供達のボルテージが一気に上がった、陽一は
興奮して舞い上がっているし、妹の由希子は不思議そうにテレビの
四面のあらゆるところから中をのぞき込んでいる
映画のように映写機があるわけでも無いのに、ガラスの中で映画や
スポーツが写るのだから魔法としか思えない。
テレビの導入をリアルタイムで経験した子供達の驚きはとうてい
今の子供にはわからないだろう。
今思えば14インチほどの小さな画面、そして白黒画面で画像も粗い
チャンネルと言っても、リモコン以降の今の人にはわかるまい
丸いダイヤルに1~12まで数字がついていて、それを基点に合わせて
チャンネル選択をする。
だから今でも70歳前後から上の人は別番組に替えたいときは
「チャンネルをまわしてくれ」とか「おーいチャンネルをくれ
(リモコンをくれのつもり)」と言うことがある。
もう店を出して5年目に入った、この間、地元での足固めに全力を
注ぎ込んで元旦以外の364日間、休み無しに夫婦で働き、弟の
徳磨のほかに、松子という20代の主婦も店員として雇った
そしてついに、裏に建てた平屋の倉庫を壊して、二階建てにして
小さな母屋とくっつける事を決断した、そして新築の2階を宴会場
とする新たな商売を考えていた。
そんな頃、時々買い物に来ていた沢村貞子似の客、浅草育ちも同じ
三松美鈴の娘、三松京子がたびたび遊びに来るようになった。
京子もまた、母親に似たチャキチャキ娘で、歯切れが良くて早口だ
歳は23歳だという、これがまたこの近所では滅多に見られない美人で
しかも代用教員をしているというから、才女でもあるのだ。
利発そうな大きな目は、またくるくるとせわしく動き回って好奇心の旺盛さも
物語っている
鼻筋も緩やかに高く通っていて、ふっくらとした健康そのものの頬
なのに少しも気取らず、美人を鼻にかけず、「ふ~ん?」「そうなの?」
「え-! ほんとなの?」が口癖、羽に衣を着せぬさっぱりした下町言葉
かずは、この母子と話していると浅草にいる気分に浸れるのだった
そして、それは東京大空襲で死んでしまった浅草のセイ叔母さんと珠子さんを
思い出させるのだった。
そして大事なことを忘れていたことに気づいた、それは生まれ故郷茨城の
古河にある寺、祖祖母、祖母、義祖父が入った墓参りだった
最後に行ったのは義祖父の納骨の時だったから、かれこれ20年が
過ぎたのだった。
思い出した途端、矢も楯もたまらない思いが駆け巡った
「古河に行ってくる」、かずはみつこに、そう言って準備を始めた
この時代、古河は遥かに遠いところであった。