まず最初に、広瀬郷左衛門が藤田と槍を会わせた
三科肥前守も広瀬を助けようと近づこうとするが、碓氷峠の難所ゆえ足場は悪くその僅かな場所で二人が動いて打ち合うため容易に近寄れない
広瀬、藤田もまた大長刀、槍を自由自在に操るには狭すぎて、互いに得物を投げすてて組み合い倒れる、そこは自下がりの坂道、二人は組み合ったまま上になり下になり転がっていく
そのうちに広瀬郷左衛門が藤田を組み敷くと同時に、その首を掻き切った
藤田の郎党は急ぎ広瀬を討たんと近づくが、そこに三科肥前が槍を振り回して当たるを幸いに切りまくった。
これを見ていた曲淵庄左エ門は一番槍を広瀬にとられ歯噛みをして憤り、ただちに大軍の中に突き進んで暴れた。
これにより上州勢は大軍と言えども、山道は狭くて一度に攻めかかることもままならず、前は詰まり、後は進め進めと押しまくり、真ん中は窒息するほどの密となって身動きできぬ有様
そこへ高きところから広瀬、曲淵、三科を先頭に板垣勢が押しまくるから、上州勢はたまらず後退した
先頭は後退するが、後方はわけもわからず登ってくるため、上州勢は大混乱となりわき道に転げ落ちる者も多数
ついには総崩れとなり、我先に峠を下るがままならぬ
そんな上州勢の中から、師岡隼人と名乗り、今一度峠を取り返す勢いで抜け出す武者在り。
三科肥前守はこれを見て「さては上州勢にも、恥を知ったる立派な大将があると見えたり
三科肥前守、当年十九歳、そのような立派な大将首なれば雑兵の手にかかるより、某の手にかかれば閻魔大王への申し訳にもなるべし」と進み寄る
師岡も「これは悪しき敵の広言かな」と突き寄せる
互いに槍を交えて突きあううちに、三科の槍が師岡の面部の真ん中を渾身の力で突き抜いた
師岡は声も立てずにどっと倒れ、三科は素早く首を掻き切った
是より武田勢は、高きより低きに攻め下り追い打ちにして、栗原、日向、相木、芦田高名を上げて、ついには坂本宿まで攻め下る
首を取ること千二百十九級なり
やがて板垣信形「勝って兜の緒を締めよ」と坂本にある味方にも急ぎ峠を上るべしと引き上げさせた。
その日の午後となり、板垣は勝どきの法式厳重に執り行い、床几に座って首実検を行う姿は、さながら大将軍のように天晴美々しく見えたのであった。
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