神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

光秀謀反の本能寺 なーんちゃって㉝ 最終回

2021年03月28日 07時00分01秒 | 光秀の本能寺
北条を滅ぼした秀吉は、奥州から会津にかけて勢力を伸ばし北条氏と組んでいた伊達政宗も攻めようとしたが
ギリギリセーフで許しを乞うてきた政宗を許し、臣従させた
更に北に攻め込み、唯一抵抗した九戸政実を滅ぼして、ついに日本国を統一した。
およそ200年ぶりに訪れた平和な日本であった
秀吉はさっそく論功行賞を行った、従った大名たち、家臣団にそれぞれの知行地を割り当てた
島津、毛利、長曾我部、上杉、徳川などの大大名はそのまま領土を安堵した
丹羽長秀亡き後の丹羽家は100万石の領地は若狭一国10万石ほどに削られた
代わりに秀吉の古き友、前田利家には加賀、越前で90万石を与えた
秀吉がもっとも苦心したのは北条の広大な関東の地であった
今でいえば群馬県の大部分、埼玉県、千葉県の一部、東京都、神奈川県、静岡県の伊豆という広大な土地である、未だ決めかねている

徳川家康は軍事、謀略、内政を本多正信、心のよりどころを秀明和尚に求めた
家康もまた、戦争が突然なくなったこの国で、これからどのように政治を行っていくのか見極めきれずにいた
そしてそれを秀明和尚に問うてみた
「和尚、これからの徳川家はいかに生きて行けばよいのであろうか、どのように豊臣家とつながりを持てばよいのであろうか」
「まずは秀吉殿に疑念を持たせぬようにされることが肝心かと」
「それは!」家康にも秀明のいう意味はすぐ分かった
秀吉にとってもっとも危険な人物は徳川家康に他ならない、あの織田信長さえ、もっとも安全だと思っていた家臣の明智に寝首をかかれた
まして外様の大物徳川は危険極まりない、自分がようやく統一した日本を家康に奪われてはたまるまい、機会あれば潰したい相手なのだ
「このままでは近いうちに無理難題を申し付けてくるやもしれませぬ、北条が消えた今、もはや豊臣に立ち向かう術はありません」
「ならばいかがする?」
「ここは苦渋の決断をせねばなりますまい」「なに苦渋の決断とは?」
「国替えを申し出るのです」「...」
「先祖代々の三河を譲り、北条亡き後の関東に移るのです」
「戯言を申すな」
「戯言ではありませぬ、殿が申し出ずとも秀吉公は必ずやその手に出てくるでありましょう、先手を打つのです」
「小田原はともかく鎌倉は狭く守りがたい、さらに奥地の武蔵など洪水と氾濫が頻繁に起こる荒地ではないか」
「それゆえ殿は秀吉公に歯向かう力を失うのです、なれば秀吉公は殿を攻めずとも安全と思うでありましょう」
「しかし先祖の眠る地を捨て去ることなどできぬ」
「殿は天下をあきらめられたのか? いかがでござるか?」
突然の危うい言葉に家康は一瞬返事に詰まった
「天下を得たならいつでも三河は取り返せましょう、その志なければいずれにしても三河は永遠に殿の手には戻りませぬ」

数日後、家康は使者を秀吉のもとに使わせて、今の領地をすべて秀吉に渡し、北条の遺領と交換したいと申し出た
「願うなら豊臣家の関東管領同様の御役目を与えて頂ければ、豊臣家の盾となって関東及び関東以北の敵あれば征伐いたします」
秀吉は、もともと徳川を関東に移封する気でいたから大いに喜び
「なれば、その心に報いて家康殿を関東管領といたし北条の遺領に加え、上總、下総、安房、下野も加えて与えよう」
なんと秀吉の大盤振る舞いである、相手を驚かせて感激させそれで臣従させるのは秀吉の得意な手であった
ところが、今度ばかりはあまりにも大盤振る舞い過ぎた、家康が得た新領地は250万石にもなった
いかに秀吉が家康に気を使っていたかがわかる
さらに家康は荒地が多く、水害も多いので土木、干拓、治水工事をする許可も願ってその承諾を得た.
また都から遠い武蔵江戸の地に居城を築くことも許された
秀吉の知恵袋、石田三成はこれを案じて「やりすぎでは」と秀吉に苦言を呈した
「武蔵など広いばかりで何の役にもたたぬ沼ばかりじゃ、案ずることはない
せっかくの蓄えも灌漑工事で無くなるであろう」
しかし秀吉は家康の忍耐強さを過小評価していた、江戸湾を埋め立てて天守を持つ江戸城を中心に着々と城下町を形成した
徳川四天王と呼ばれた重臣たちには関東の最前線に10万石程度の大名としただけで大部分を家康の直轄とした、家康が秀吉にケチと言われた由縁である
逆に秀吉は家臣や外様に大盤振る舞いをしたが、自らの直轄領は200万石程度しか残らなかった
家康は治山治水で米の収穫や商業の繁栄、江戸湾の整備、河川の改修で水路を巡らせ関東一円を船でつなぐネットワークを築いた
隅田川や利根川から遠く下野(栃木県)まで船で往復できる

これは琵琶湖から淀川、大阪湾につながるネットワークより、もっと大きく広いネットワークであった
徳川家は秀吉の知らぬ間に250万石よりはるかに大きな財を成す市場システムを作り上げた
それと同時に軍団の強化と武器の蓄えも進めていった、関東は当時は島流しに等しい田舎であった、故に好んで行きたい者もなく隠し事もしやすい土地でもある
しかし家康は田舎に居ながらも上方のことは手に取るように知っていた
京や大坂の上屋敷には情報収集や商才に長けた家臣を配置し、外国貿易も含めた最新情報を得ることにも手を抜かなかった

「殿、まずは国力をつけること、これは今のところ順調でございます」
「和尚、次はどうする」
「長生きすることでございます、秀吉公より長く生きていたら必ず陽の目を見る日がやってきましょう」
「それは神仏の加護にすがるしかあるまい」
「それではいけませぬ、健康でいるように不老不死の薬を飲み、毒殺されぬよう毒に耐える体も作らねばなりませぬ」
「しかし」
「武蔵の地は山も林も多く自然に恵まれています、優れた薬草や薬木も多くあります、私は美濃で若い頃薬草とりなどもしていました
この知識に加え、優れた医師を招き殿の体を100歳まで生きる体に作りかえましょう」
「ははは、そのようなことができるかのう」
「60や70までお子を作るくらいの力はつきましょうぞ」
「ははは 他愛もないことを言うのう」
しかし秀明和尚の努力のせいか、家康は75歳まで生きて、62歳で死んだ秀吉の天下を奪い260年の江戸幕府の礎を作った
徳川御三家末子水戸徳川家の祖、徳川頼房が生まれたのは家康が64歳の時である
秀明和尚もまた家康と競うように長生きをし90歳を越える長生きだったという

1600年に豊臣政権を脅かす家康を排除しようと考えた秀吉恩顧の石田三成が毛利、宇喜多などの西国大名たちと徳川家康に宣戦布告した
関が原に至るまでは日本各地で石田方(豊臣)と徳川方の戦いがあったが三成の西軍が有利であった、関ヶ原の本決戦で総勢15万余が戦った、しかしあっなく徳川の大勝利となった
それでも慎重な家康はそれから15年かけて1615年にようやく豊臣秀頼を滅ぼして徳川の天下を盤石にしたのだった
そして、それを見届けると同年家康はその人生を終えた

1600年の関が原戦の数年後、二代将軍徳川秀忠に長男家光が生まれた
母は江、豊臣秀頼の母で秀吉の愛妾淀の妹だ
家康は孫に乳母をつけようと人選をしていた、そして秀明和尚にも相談した
「さようですか、ならば良きお方を探してみましょう」
そして数日後、家康に報告した
「実は稲葉家の妻女でありますが、人柄、教養、度胸いずれにも優れております
『夫あれど、そのような名誉なことであれば離縁してでも主君に御奉公いたします』と申しております」
「稲葉とな、その誰の事じゃ」
「殿もご存じでありましょう、関が原で大手柄をたてられた稲葉正成様、その奥方福殿でござる、正成殿もこの件承知でござります」
「おお、正成か、良き働きをした、だが離縁とは穏やかでない」
「殿、福殿には深い思慮がございます、福殿の母方の御実家は美濃の稲葉一鉄様、父上は明智光秀の重臣斉藤利三殿でございます」
「うむ!.. みつひ!....和尚! しかと承った、家光を立派な将軍に育ててくれるよう頼むと伝えてくれ、正成は大名として取り立てよう」
福は家光の乳母となり、春日局(かすがのつぼね)と呼ばれた

二代将軍秀忠夫婦が愛し次の将軍につけようとしたのは次男の忠長であった、しかし、春日局の機転で家康は「長幼の順固く守るべし」と家光を嫡子と定めた
将軍となった徳川家光は居並ぶ大名の前で
「祖父も父もその方らと共に戦場を駆け巡った戦友でもあった、ゆえにお互い甘え許す気風があった、だがわしは生まれついた時から将軍である
これよりは主従の関係を厳格にすべし、意にそぐわぬものは弓矢をもってかかってくるが良い、しかと申し渡す」
と言ったとか言わぬとか、徳川三代将軍にして徳川幕府は盤石となった
そして家光は、自分を将軍にするために命がけで仕えた春日の局に感謝した
家光は自分が生まれる前の本能寺の変の話を祖父家康に何度もせがんで聞いた
その都度、家康は自分と明智光秀、武田信玄との切れぬ縁を話して聞かせた
それは春日局の父、斉藤利三とその主、明智光秀の名誉が回復された瞬間であった

                          おわり

*これはフィクションです、登場人物も架空の者が登場しています


















最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (yottin)
2021-03-29 08:06:55
イケリンさま
毎日はっとするような美しい写真を拝見させていただいています
草花、鳥などにも詳しく、桃、梅、杏子の花の見分けもつかない私とは大違い
たいへん勉強になります

私は子供の時からいろいろなことに興味を持ちすぎて
結局、どれも中途半端で終わりました
それは今でも同じです。 「二番じゃだめですか」どころかなんでも10番くらい
でも浅く広くも悪くはないと思っています
初めて会った人とでも何かしら共通の話題で話すことができます
これからも三流、五流の生き方が続くと思いますがよろしくお願いします
返信する
Unknown (イケリン)
2021-03-29 07:07:28
おはようございます。
楽しませていただきました。と、ともに
yottinさんの文章力の高さや博識ぶりにも驚かされました。
いろんな書物を読み漁ったからといって、こうはいきません。
持って生まれた才能なのでしょうね。
経営者、料理人に加えて二足も三足もの草鞋が履けそうですね。
次を期待しています。
返信する

コメントを投稿