神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

どんな女性がタイプですか?

2016年12月15日 10時20分51秒 | 心 思い

「どんな女性がタイプですか?」だって

こんなおっさんに、そんな事聞くなよ

今更だよ・・・・

でも聞かれりゃ答えちまうよな

それが俺の長所でもあり欠点でもあり

 

何だか「北の国から」の世界で生きてみたい気もするんだよな

「蛍」って何だか天使みたいでさ

辛いんだけど、ずっと我慢してるんだよな、子供なのに涙を飲み込んじゃうんだよな

そして、そんな女になっていくんだけど

俺そんな女、知ってるんだよ

ぜんぜん愚痴も言わないで、朝早くから夜遅くまで働いて

すっかり女の幸せをあきらめてるって言うか、忘れてしまったって言うか

悲しいよね

 

で! 「はぐらかすな」ってか

タイプねえ・・・・「うん 前向きな女性が好きだね」

どんどん進んで行くって言うか、物怖じしなくてさ、だけど蓮舫さんみたいに眉間に皺はごめんだよ

利口ぶって無くてさ かっこつけて無くてさ 自然体で

明るくてさ、元気でさ、打てば響いてさ、誘うとすぐに「OK!」でさ

そんなフットワークの軽快な人が友達だと嬉しいね

坂下千里子みたいな感じがいいかな

 

 


大暴れPねこ とうとうやってくれたぜ!

2016年12月14日 15時22分54秒 | フーテンの寅ねこ わんにゃん

この頃、とみにじゃじゃ馬になったPねこ

とうとう大暴れ、廊下の窓の障子によじ登って、端から次々にバリバリと

ちょうど張り替えの時期で良かったとは言え、張り替えてこれではやりきれない

二重サッシにして、障子はやめようかなとも思っている

わが家だからよいものの、ちょっとした上品な家庭なら命は無かったぞ!Pねこめ!

これがおまえの恩返しか? 「はい 障子張り変えのお手伝いです・・・」

 

得意げなポーズ        絶景かな絶景かな        ああ・・・疲れた

         


小学校の修学旅行は新潟市

2016年12月14日 15時02分57秒 | 時代検証

5年生までは修学旅行は日帰りだったけど、6年生は1泊

行き先は日本海側の大都市「新潟市」、寺尾農園(寺尾遊園とも)

チューリップがたくさん咲いていたことを覚えている

新潟県と富山県はともにチューリップが盛んな県だ

学校指定のお小遣い最高額はは破格の500円、当時少年サンデーとか少年マガジンが

40~50円、ラーメンもそんなもんで、ハイライトも似たかよったかではなかったろうか

毎日の小遣いが10円だったから500円は子供にとって大金だ

大和デパートにも寄った、たしかそこでだと思うが、木箱に入ったイチゴが500円

それで全て500円を吐き出した、お土産を買うために小遣いをもらったようなもの

宿は萬代橋に近い「角屋旅館」だったと思う

今はきっとないだろう、窓から田舎では見ることができないカラーのネオンサインが

上から下へと点滅を繰り返してきれいだったのを覚えている

寝ぼけたのか誰かが夜中に部屋の窓からおしっこをして大騒ぎになった

この旅行も意義があって、これまで寝小便をたれていたのが、旅行の緊張感からか治った

なんていう話もあった。

県庁を見たが何も覚えていない、小学生に県庁を見せても無駄

交通機関も煙を吐いて走る蒸気機関車で、たぶん6時間くらいかけて行ったんだろう

小学生の時のガリ版刷りの版画文集を未だにもっているが、新潟旅行の機関車を版画にした

ものが結構ある、330名の同級生、旅行で一番印象に残ったのは機関車だったようだ。

 

 

 


佐潟

2016年12月13日 15時02分26秒 | ドライブ

西新潟は新潟市の西の外れで西区、昔の内野町や五十嵐などの地域を言う

付近には大きな面積をもつ新潟大学の五十嵐キャンパスや新潟清心女子校などがあり

海にも近い

116号線沿線は、かっての新潟の中心地古町通などより遥かに近代的で賑やかに様々な商業施設が

軒を並べていて華やかな様相になっている

この辺りの住人に聞いてもガソリンが新潟で一番安いとか、買い物や食事に行くのに便利だとか

結構満足しているようだ。

それはさておき、私は西新潟というと昔から行って見たいところが2カ所あった

一つは平和台団地、もう40数年言っていないのだが、あの海岸段丘というか砂丘というのか突然の高台は

強いインパクトが残っている、なぜこんなところにこんな地形があるのか驚きだった

今はどうなっているのか全く想像がつかない

もう一つは佐潟である、白鳥が来る潟だ、潟というのはどういう地形を言うのかはっきりは知らないが

鳥屋野潟とか福島潟とか新潟市に多いところを見ると信濃川や阿賀野川が暴れ放題だった昔のなごりで

川の一部が取り残されて池になったのではないかと思う

この日、ようやく佐潟行きが実現した、初めて見る佐潟はなかなか良い雰囲気だ、やはり北側は海岸段丘に

なっている。

新潟市は海岸部がおおいに盛り上がっていて、市の中心部などは擂り鉢の底だ

脱線ばかりするが、この日は飛来した白鳥5000数百と書いてあったが、ほとんど昼食に付近の田園地帯に

出かけているらしく、たまに5羽6羽と飛び立っていくのが見えるだけで、あとはカモばかりだ

水原の瓢湖とはずいぶん趣が違う

なにより静かで、近所の人の憩いの場にもなっているようだが、寒くてそれほどの人もいなかった

春先や初夏にこの周囲を散歩すれば気持ちいいだろうなと思った


初体験 アロマ.マッサージ

2016年12月13日 08時34分22秒 | 病気と健康

通夜式が終わり、別室で通夜ぶるまいを旧友と一緒によばれた

100名ほどがこの席にいたが、なかには30年ぶり40年ぶりに会う人もいて

こっちが挨拶しても首をかしげる人も何人かいた

それは私も同じで、向こうがわかってもこっちがわからない

こんな事でも無ければ会えない人に会えるのも「故人のお導きだ」と坊さんは言うだろう

さすがに通夜の後では町に繰り出そうなどと言う不届き者も居ず

先輩のの車でホテルまで送ってもらった、もう9時過ぎで渋滞も終わっている

わずか10分足らずでホテルに着いた

早すぎる、することもなく呆然としていたが、忘れていたことがあった

それはマッサージだ、マッサージはもはや趣味の一つだ

旅先に出れば、温泉旅館であれ、ビジネスホテルであれ、必ずマッサージを頼む

10月終わりの福島の温泉でも頼んで60分の大部分を寝ていた

フロントに電話をしようとマッサージのインフォメーションを見たら日曜は休みだった

それじゃレストランでも行ってサーロインでも食おうか、最近は粗食続きだし

ところがレストランもラストオーダーの時間が過ぎていた

寝るしかないのか・・・10時から・・・

するとテレビの横にアロママッサージの広告があった「アロマ?」女性がやる美容

と思って(だめだ)、料金を見ていたら「整体マッサージ」もあるでは無いか

これだこれだと、すぐにフロントに申し込んだ

間もなくドアがノックされて、迎えに出たら30前後の若い女性で、すこしドキッとした

「整体90分コースですね」と言われて返事をしたら

「アロママッサージもやってみませんか」という「いやあそれは・・・」と言いながらも

少し興味が出て、「女性がやるものじゃないの?」と聞いたら

「いいえ最近は男性もやってますよ」「それじゃやってみようかな」と単純な俺

「コースを選んでください」結局、整体30分+アロマ60分のコースにした

ベッドに横になったらいきなり「読んでください」と紙をさしだした

(風俗営業ではありません、担当の女性にさわったりしないでください、場合によっては

途中で中断して退出することもあります)

そりゃあそうだ、個室で二人っきりなら、そんな不届き者だって居ないとは限らない

まずは30分月並みに整体マッサージをしてもらった

「今度はアロママッサージをしますから、症状に併せてこの中から選んでください」

5種類の効能書きを見せてくれた、「首肩のこり」「疲労回復」「幸福感」なんてのを選んだら

一つに絞れなくなって「どっちにしようかな?」迷っていたら

「二つミックスしましょう」だって、そんなのもありなんだ?

さて勝手がわからないし、そうしたら紙パンツに履き替えていただきますからバスルームで

履き替えてタオルを巻いて来てください」

茶色でダブダブのゆったり紙パンツはかっこわるいが見られるわけでも無いし

老後の予行演習???

バスタオル2枚で部分部分を上手に覆って、お客に不安感を与えないように施術する

老廃物を体内から排出するのがアロマの目的なんだそうだ

オイルマッサージは初めてだが悪い気はしない、なかなか良かったが

やはり気持ちよさに少し寝てしまった

終わったあと、「あたたかいお茶のサービスがありますがどうですか?」「はい」って

ポットからお茶を注いでくれた、結構サービスが細かくて感心した

「お水をたくさん飲んで老廃物を排出してくださいね、そうじゃないと体の中をぐるぐるまわる

だけですから」「老廃物が?」「はいそうです」

またやってみても良いかなと思った、なんでもやってみるもんだね

 

 


人の命のあっけなさ

2016年12月12日 15時13分34秒 | 宗教

夕方5時、ホテルからタクシーに乗ってわずか3kmの距離を40分かかった

余裕ででたつもりが、ぎりぎりで焦った

新潟市の夕方の渋滞はソウルの渋滞に負けない

わりとアットホームな葬儀を想像していたのだが、このセレモニーホールは

数階建てで、4階が葬儀式場だった、かっては結婚式場だったが厳しい競争から

葬祭場に転化したらしい

受付はさながら戦場のようで、何人かのスタッフ女性が金切り声を出して指示する

会場はまるで体育館か映画館のようだ

常設約500席の大部分が埋まり、プロジェクターかの映像がスクリーンに映し出され

まるでコンサート会場のようだ、コツコツと甲高いヒール音を立てながら、式の担当の女性が

大きな声で弔問客を案内している、田舎のような厳粛さは少しも無く、たんたんと式は進む

田舎のように演出のナレーションもなく、いきなり3人の僧が読経を始めるとすぐに

「お焼香」

延々数十分400数十名の焼香が続いた、これではとても「ねえちゃん」の顔を見て最後のお別れは

叶うまいと落胆していたが、放送が入って「お別れなさる方はしばらくお待ちください」

おかげでお別れすることができた

彼女は長患いしていたわけでなく、あっという間に心筋梗塞で亡くなってしまったのだった

だからその顔は生前にもまして美しく、ちまっとしているが鼻筋の通った優しい顔は全く変わっていない

ただ目を閉じていることだけが残念だ、きれいな着物を身にまとって旅立つのだ。

涙が出るかと思ったが意外にもさっぱりしていて、むしろ彼女の美しい顔に気がとられていた

こんな風に書けば生前にも言われたことがあるけれど

「あ~んた いつの間にそ~んげじょうず言えるようになったん?」と言われそうだ

 

彼女はずっと一人で暮らしていて、最近は仕事が終わったあと自分の部屋で日本酒を飲むのが楽しみ

だったそうだ、それはかなり深夜のことで、そういったら私も同じ事をしていたわけで・・・

彼女はそのままの姿で亡くなっていた、午前1時頃ではないかと喪主の一人息子が言っていた

あまりにもあっさりと旅立っていった、あと3ヶ月後にはまた一緒に飲めるかなと楽しみにしていたのに

人の命は余りにもはかなくむなしい、この店の私の同期5人組もすでに、50代で2人が先立った

私と同日入社の相棒もすでに二度脳梗塞で倒れて、言葉と片足が不自由になった

だんだんこうした仲間が減ることで新潟は遠くなり、あの頃の思い出を語る相手もいなくなっていく

長生きすればしただけ寂しさと孤独感が増していく

人生はやはり喜びより悲しみの方が多いと思った。

 

 

 


山姥伝説 白系ロシア アイヌ 沖縄

2016年12月11日 11時23分45秒 | 宇宙.神秘

10年近く前に「山姥研究」の地方での第一人者というおじいさんの講演をお聞きした

講談風でたいへん熱の入った講演、頭の中に映像が浮かんでくるほどだ

山姥(やまんば)の正体は白系ロシア人の女性(たち)だという

昔、蒙古の軍団が北にも攻め寄せてきた、アムール川流域の白系ロシア人は追い詰められ

海を渡って樺太に逃げたそうだ、それでも蒙古軍は追いかけてきた

絶体絶命の時、数百の白いオオカミの群れが突如現れて蒙古軍を襲って蹴散らした

そうして難を逃れた白系ロシア人の数十人が北海道に渡った

所々で一人二人とその地に定住して、減りながらも南下を続け、ついに青森に渡った

それから、東北、越後、信濃などの山中に住み着き結構その地の人々と交流していたらしい

それが、いつしか山姥の伝説として語られたのだという

当然、背が高く口は大きく、色は真っ白で髪は長い

それを思い出したとき、アイヌ民族が思い浮かんだ、イザベラバードの紀行ではアイヌ集落で過ごした

記事がある、その中でアイヌの風貌について、男は平均163~168センチくらいあり、体格は

非常にがっちりして毛深く、顔は、ほりが深く角張っていていかめしく、しかも美しい

どちらかと言えば欧州人に近い、とべた褒めである、更に歯並びがよく、真っ白な歯をもっている

鼻からあごには豊かな長いひげを蓄えて近寄りがたい威厳がある、それなのに笑うと何とも言えない

優しい表情になるのだ(要約)、女性は醜いがよく見ると口の周りなどに入れ墨をしているからで

あらためてみると、とても美しい女性ばかりである、背筋も伸び、胸は発達していて、姿がとても良いと

「醜い顔と姿の日本人」と比較して記している。

アイヌ民族は縄文時代の日本土着の旧人類で、大陸からやってきた弥生時代の新日本人に追われて

沖縄と東北、北海道に別れて逃げた民族という説もある。

だから沖縄の土着の人とアイヌ人には共通項がいくつかあるという、それは体型や顔つきだけでなく

入れ墨の風習、それぞれの山姥伝承にも共通点があるという。

実はアイヌ人の中で東北などの山中に住み着いた人が、山姥として語られたのでは無いかと思ったのだ

色が白い、背が高い、アジア人より欧州人に近いなど白系ロシア人に似た感じがしたからだ

ところが調べてみると、アイヌ人にも山姥伝説があるのだ、ということは彼らも山姥を恐れる人々だった

アイヌ民族は山姥のルーツではなかった。

結局、アイヌ民族の研究の一端を知ることだけが知識として残り、山姥伝説については進歩がなかった

 

 

 

 


格差社会を生き抜くには勝つしかない

2016年12月10日 19時56分20秒 | 時代検証

しばらくボサ~っとしている間に世界は動いていた

一人当たりGDPが日本人は360万円になってしまったが、韓国人は300万円、中国人も90万円

まで追いついてきた、特に中国人は日本人の10分の一だと思っていただけにちょっとショック!

世界でもダントツの赤字国債借金国になって、あきらかに国民生活も貧しくなっている。

平均所得は上がっても、個人所得では減収に転じた人がかなり多いと思う

定年再雇用者、日給制のパートアルバイトなど年収150万円に満たない人は多いだろう

収入もさることながら、手取額の減少が顕著だ、社会保険料の率が増加して、介護保険料

の増加分、年金収入の減少、その後には野菜などの高騰、消費税8%の上乗せと

手元に残るお金はどれだけ?

こうなると宴会の会費も1000円くらい安くなって料理店も直撃だ、人口が減って宴会人数も

減るから単価-1000円×人数×0.9が今年の売上ってわけだ

これをなんとか、涙ぐましい努力で昨年並みを維持しなければ「アウト~!!」

なかなかたいへんな時期にさしかかっている、先日商売を閉店した親父が入社した

売上減少に加えて、大家さんから家賃値上げを促されて閉店を決断したそうだ

都会では優秀な頭脳をもった若者が新しい頭脳技術で、体力勝負の旧来型の会社を圧倒して

大きな稼ぎをしているという、非労働生産者が、労働生産者を食いつぶす時代になった。

たった1分足らずの「パイナップルペ~ん」なんてアイデアが億単位の収入を生む時代

一日12時間近く汗を流して、月20万円に満たない収入、余りにも個人格差が大きすぎる

NHKの番組で世界のトップ62人の資産が下位36億人の資産を凌いでいると言っていた

確かに下位36億と言えば人口ばかりが多い貧困国や発展途上国だ、それでも公平とは

言えないだろう、収入格差と言うよりは人間力の格差と言った方が救いがある。

過去の経営法から抜け出られずに倒産した温泉旅館や観光ホテルを安く買収して、設備改善

そして省エネ商法で安く提供して、お客を集める企業が注目されている。

人件費の削減が発展のキーワードになっている、これではますます雇用が減り、貧困層が増える

そうなると犯罪が増える、麻薬に走る若者が増える、悪循環

昔は軍隊に入れば飯が食えるということで貧しい家庭の青年は兵隊になりたがったという事を

誰かに聞いたことがある。

みんなが貧しく美しかった戦後昭和の時代の方が生きやすかったね

 

 


家紋

2016年12月10日 16時20分33秒 | どうでもいいこと

わが家の家紋は「亀甲渡辺星」

一文字の上にお団子3ヶ積んだような「渡辺星」の家紋は全国でも数多い

ところが六角形の亀甲の中に渡辺星が入っている紋は家紋図鑑を見てもない

ネットでいろいろ調べたら、家紋調べのサイトに出くわして、そこで幕末の幕臣

川路聖謨の家紋と同じ事がわかった。

私の父には二つの家系があって、一つは実の血筋の家

これは栃木県大田原市に根付いている歴史ある家系で、全国的には数が少ない

1000数百世帯という、その大元は神奈川の三浦三崎だという伝説がある

もう一つの家系は戸籍上の家系で現在名乗っている家だ、血はつながっていない

この家は静岡県浜松市がルーツで菩提寺もある、全国では100番前後の多い名字だ

明治になる前に東京日本橋に住んでいたが、空襲で全滅した

さて、この家紋はどちらの家の家紋なのかわからない、多分後者のものだと思うが

父も92歳を過ぎて記憶が曖昧になってきている

このまま、わが家の羽織の紋として出所不明のまま使っていくしかないのだろうか。


すっぽん鍋

2016年12月09日 11時05分23秒 | 料理を作る・食べる

6日の夜、はるばる40km先の隣町の日本料理店へ行った

更に20km先の割烹料理店の店主&お友達と、毎年一回の親睦会だ

あちらのお友達は2人で、1人は女性で登山が大好き、今も山主婦だ

コメントにも書いたが、お父上が戦争中、戦艦武蔵や大和の乗組員だったという話を

お聞きした。 このブログでも武蔵について少し書いたことがある

乗組員の大半が戦死され、生き残った人々はフィリピンの山中でたいへんな苦難に

あわれたということだ、戦後まで生き残って日本に戻った人は本当に命強い人と言える

 

私も友達を3人連れて行き、7人での酒宴、最初から熱燗でいった、嬉しいとき寒いときは

熱燗に限る

今日のメイン料理は「すっぽん鍋」だった

私も職業上、いろいろな鍋物を作るが、フグとスッポンはやらない

それだけに食べる方で楽しみだ、スッポン鍋は生涯でこれが2回目、ゼラチン質コラーゲン部分は

アンコウに似ているし、肉質は柔らかい鳥肉みたいな感じ

なんといってもスープがおいしい、最後に雑炊を作ってもらった

鍋物の良さはやはり、濃い出汁で作る〆の雑炊、うどん、本当においしいですね

ところが先日ある飲食店で2時間コースの宴会をしたんだけど、乾盃と同時に鍋が出てきて

鍋が終わったら、これを入れてくださいってラーメンをもってきた

鍋の具材も野菜ばっかりで少なくて、すぐに終わりそう、しかも狭い部屋で置く場所も無い

いくら何でも酒飲みばかりの宴会でいきなりラーメンはないし

声をそろえて「ラーメンはいらない」

家族連れや若者の多い店だから団塊世代の扱いは慣れていないみたい、仕方ないか

 

スッポン鍋の他にも、いろいろ楽しめる本格的なお料理がでました

この店の女将は、私と飲んでいる割烹料理店の店主の実妹

主人は無口で威厳のある板前さんです、こざっぱりとした落ち着いた和風のお店です

やっぱり団塊世代以上は、こういうお店が良いですね。

1年ぶりの再会で話も弾み、ルール違反の3時間いましたけど、そこは兄妹の間柄

気持ちよく応対していただき感謝感謝でありました